ロビン・スウィコード監督『ジェイン・オースティンの読書会』〜否定する賢さより、引き受け分かち合う愚直さを

 

 誰かや何かを否定する賢さが、充満している。


 手足も動かさず、テレビやパソコンの前で、あるいは新聞に目を落としながら、誰かを何かを否定して、舌打ちして、スイッチを切り、あるいは新聞を畳んで終わり。だって、自分ではなかなか見えないからさ。そうして脳みそばかりが肥大し、口先ばっかり尖らせて、手足は痩せ衰え、心は色あせ、辺りを見回すと、友だちと呼べる人さえいなくなっている自分の姿が―。


 ひさしぶりに映画の日に、夫婦で出かけた。奥さんは、ダニエル・デイルイス主演の映画とか言っていたが、夫婦で、しかもGWに観にいく作品じゃないだろうと却下。彼女がぼくに気を遣ってくれただろうことはわかる。だったら、コーエン兄弟の『ノーカントリー』が観たいよ。ただ、夫婦で観る映画じゃないやん。


 で、女性客が多そうな『ジェイン・オースティンの読書会』(東急文化村 ル・シネマ)を、ぼくが提案した。ジェイン・オースティンは知らないけど、読書会を映画にするという企画自体が、もう「腕に自信あり」って感じだし、実際にどう物語るのかにも興味があった。ロビン・スウィコード監督は、『SAYURI』や『若草物語』などの映画脚本を多く手がけた女性。登場人物たちの細やかな心理描写を織りこんだ編集にその手腕が光る。



 劇場に行くと、女性客ばっかりな光景に、少々ひるんだ。20、30代を中心に60代まで幅広い。辛うじて2組のカップルと、男2人と女性1人の3人組で、男性わずかに5人。夫から突然離婚を切り出された40代後半の女性を励ますために、女友だちらが読書会を催す。参加者は男性1名と女性5名。そこに様々な恋愛関係がからみ、ほぐれ、つながりしながら物語は展開する。予想以上に上手い。上手すぎてツマンナイほどだ。その結末は・・・・。


 長短両所のある誰かを引き受けること。その愚直さが絆をつくる。恋や友情や愛をはぐくむ。誰かや何かを否定する賢さは、結局、人の口先をいたずらに尖らせるだけだ。たとえば霧雨が地面にゆっくりとしみ込んでいくように、そんなシンプルなことを、この映画は観る者の心にゆっくりと注ぎ込んでくる。


「なっ、連休中に、夫婦で観るにふさわしい映画やったやろ?どうよ、ご主人のこのセンスは」
「・・・まあまあやな」
「え〜っ、そ、それだけ?もし、ダニエルちゃんの方観ててみ、今頃、二人で『えらく濃くて、重かったなぁ』ってげんなりしながら歩いてるぞ。食欲も失せてるかも」
「・・・・・」
「シ、シカトかい?」

ジェイン・オースティンの読書会

ジェイン・オースティンの読書会