『粋な夜電波』ロスの夜

 マンションの玄関周りを年末に掃除しながら、菊地成孔『粋な夜電波』の最後の放送を、ipadボイスメモに録音して聴いていた。放送終了間近、菊地さんの「みなさん、どうか音楽を聴いていてください」という言葉が気管支にチクっとする痛みとともに刺さった。以前、彼が「最高のグルーブさえあればなんとか生きていける」といったニュアンスの話を、放送で口にしていたことも思い出されたせいだ。

 
 ところでオマエにはそんな嗜好の、いや至高のものや時間はあるのか?


 そう問われた気がした。もちろん気のせいだ。
 だけどロジカルに重きを置きすぐて、つまらなくなっている拙文や、オマエ自身をかる〜く揶揄された気がした。そう、もっとダイナミックでありたいという根源的な衝動を抑えるあまりに、つまんなくなっている18年の自分を、端的に言い当てられている気がしたからだ。宮本と椎名のデュエット曲「飼い慣らしているようで、飼い殺してんじゃないか〜♫」って。


 年始は彼の放送を書籍化したものをめくりながら、本で紹介されていた音楽をアップルミュージックで次々に検索して聴き続けた。ヒップホップめいた菊地さんの言葉の放射と、選ばれた音楽の相乗効果が気持ちよかった。dave brubeckやチャーリーパーカー、仏のヒップホップHocusPocus『Place54」とか。だけど、一番はジョージ・ラッセルの『Ezz-ethics』。とりわけ表題作の『Ezz-ethics』のエリック・ドルフィーの雄叫びサックスに痺れた。

 
 何かに誑(たぶら)かされたい。そんな心の奥底で眠っていた気持ちが久しぶりに噴き出した気がする。jazzのアドリブの、くんずほぐれつの展開に身を委ねて、心と体ごと揉みしだかれる感覚がたまんない。