ミゲル・ファリアJr監督『ヴィニシウス〜愛とボサノヴァの日々』


 もっともグッときたのは、アフロ・サンバの誕生ともいわれる曲「なぜ泣くの」制作秘話だ。ウィスキー好きで、時おり、中毒患者施設に入ることもあったヴィニシウス・ヂ・モライスが、隣室の患者が亡くなったと知って作詞を始め、作曲者のバーデン・パウエルと一晩で作り上げたという。


 その歌詞が字幕で流れたが、「なぜ泣くの、夜は明けるのに」で始まる。以降のディテールは忘れたが、「なぜ泣くの」につづく歌詞が、四季や物事の前向きな移ろいで反復されていく。メソメソするひまがあるのなら、もっと歌え、もっと飲め、もっと踊れ、もっと恋を楽しめ。そんなヴァイブレーションが、スクリーンの向こう側から押し寄せてきた。ドキュメンタリー映画『ヴィニシウス〜愛とボサノヴァの日々』


 ボサノヴァより、もっと声高で、速く、そして力強く歌われるそれは、せつなくてうつくしい。他人の死の向こう側に、自分の死を直視する者が歌うからこそ、聴く者の心をゆさぶる唄だった。


 名曲「イパネマの娘」を、作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンと生み出した作詞家、ブラジルの外交官、いずれも溜息が出そうな美女ばかりと9回も結婚した男、ブラジルの文学賞を受賞した詩人、ボサノヴァと、アフロ・サンバという2つの音楽ジャンルを生み出した作詞家であり、プロデューサー。そして外交官退職後は、作詞家兼歌手としても、欧米ツアーを巡演した男・・・・・・・。


 とりわけ恋愛がらみで自分に正直に生きようとすると、周りの人たちを傷つける。それを知って本人もあらためて傷つかずにはいられない。そんな両刃の剣の切っ先で、おびただしい小説や歌がうまれてきた。それが自分に正直に生きたくても生きれない人たちの心を震わせる。そんな連鎖で世の中はぐるぐると回りつづける。「なぜ泣くの、夜は明けるのに」と。


 あふれる才能と、知的な美貌を使い果たすように生き急いだ男の軌跡が、巧みな編集手腕で描かれている。映画館の暗がりから、光が乱反射する5月の路上に放り出されると、無性にボサノヴァもどきを口ずさみたくなる。