国際ワ―クキャンプの可能性


 今日、ひさしぶりに都内で行われた国際ワ―クキャンプ・セミナ―に参加。
 同キャンプとは、中国や韓国のハンセン病回復者が暮らす村で、主に日本と韓国の学生から会社員までが参加して行われる、FIWC国際労働キャンプのこと。
 ぼくが学生時代に参加した頃は、韓国キャンプしかなかったが、今は韓国が経済成長したこともあり、中国キャンプのほうが活性化しているという。興味がある人は、日中ワ―クキャンプWEBサイト「Qiao(チャオ)」をクリック。


1973年から始まったとされる同キャンプも、今年37年目を迎える。民間ベースの国際交流としても、すごい歴史。今回も、学生を中心に中国キャンプの課題があげられ、その解決策について参加者で議論する形で行われた。


 その屋台骨を学生時代から支えていらした柳川義雄さんが、現在製作中という「ワ―クキャンプ辞典」の「ワ―ク」解説から一部を抜粋引用させていただく。

ただ一点、「一緒にワ―クをやる」ということのみで一致点を持つのだから、差別うんぬんを一切考えなくても、韓国の安い観光ツアーであってもこの集団に加わることができる。


 あとは、自分を外に対してどのように開いていけるかでキャンプのおもしろさは変わってくる。私たちは現場でできた様々な具体的な人間関係から(それは、日本人キャンパー、外国人キャンパー、村人を問わない)その社会を、その国を、そして日本を見通していく視線を作ることができる。これがおもしろい。このおもしろさをもっと世の中に伝えた方がいいのかもしれない。


 第2点、無償のワ―ク・ライフ・バランスを共有すると、何故か言いようのない共感に包まれる。これは主義主張を共有している人達との共感とは異質のものだ。宗教や人種や国家を軽く超えて行く力を持っていると思う。(中略)特に言葉の通じない相手との場合は格別だ。私たちは10日間あまりのワ―クキャンプで10年来の友人をえたような実感を持つ。


 バーチャル空間でのSNSの自由さと不自由さを思うとき、国境も人種も性別も関係なく、「一緒にワ―クをやる」というリアルな世界での体験を共有する、そのことの強さは圧倒的だ。これはワ―クキャンプを体験していない人には、なかなか届かないだろうが、体験者には一発で届く。
 

 ぼく個人もすでに25年以上前の体験なのだが、当時のキャンパーとは今も親交が続いている。かつての同級生並みの気安さで会話が成立してしまう。そこに魅力的な外国人異性がからめば、その飛び越え方はもっと速くて、高くて、強い。
 また、ワ―クキャンプ的視点、たとえば世の中の端っこから、もしくは見過ごされがちな人たちが暮らす場所から社会を見るという方法も、個人的には今なお大きな影響を受けている。


 ケータイやネットなどバーチャルな手段が発達すればするほど、それと反比例するかのうように、もはや地球規模で猜疑心や疎外感がふくらむ一方の今、その「一緒にワ―クをやる」ことの可能性はもっと注目されてもいい。