増田美智子著『福田君を殺して何になる―光市母子殺害事件の陥穽』(1)(インシデンツ刊)

 ぼくの仕事場には新聞記事が何枚か貼られている。
 ちょうどぼくの目の前にあるのは東京新聞11月7日(土)付け29面、秋葉原無差別殺傷事件の犯人が、被害者家族に送った手紙の全文がのった記事。それを読むと、あの犯行直前まで犯人がネットに投稿していた文章の、なんともやるせない印象があらためて思い出される。
 

 だが、今回の手紙はじつに端正な内容で、被害者への目配りも利いている。その記事に添付された、大きなメガネの優等生顔のカラー写真ともあいまって、その落差がずっと気になっている。仕事柄、文章に過敏すぎるきらいはあるにせよ、あの事件の凄惨さと、この端正な文面がどうもうまく結びつかない。


 一方、増田さんが書いた上記の本を開くと、いきなり拍子ぬけするような犯人の手紙が掲載されている。この手紙が書かれた27歳という実年齢にそぐわず、まるで小学生か中学生のような文章だからだ。
 しかし、この本を読み進むにつれて、そんな文章を書く彼が、約2年の間に急速に成長しはじめる。その急成長ぶりがこの本のひとつの驚きであり、大切なエッセンスのひとつでもある。


 秋葉原事件の犯人と、光市事件の犯人。
 まず、彼ら2人に一連の成長をうながした場所として、獄中への興味が強くわいてくる。社会から隔絶された場所で人を殺してしまった自分と向き合い、自問自答せざるをえない赤裸々さが、彼らを急速に成熟させたのだろうか、と。


 もうひとつ、その犯人のナイーブさと残忍な犯行の落差という点でも、このふたつの事件はどこか似通っている気がしてならない(つづく)