{art]「医学と芸術展」(1)(森美術館)〜マグナス・ウォーリン「エクササイズ・パレード」

 見えないものに、どうやってカタチをあたえるのか。
 古今東西、それはあらゆる創作活動の原点。だが医学の人体解剖図や模型が、かつては貴族が収集する芸術作品だったこと。あるいは、死体の解剖作業がエンターティメントとして位置づけられていたという事実はおもしろい。「医学と芸術展」の展示物で知った。医学的解剖図や模型などを、芸術という観点からとらえ直すのが狙い。


 たしかに、いくつかの解剖図を見ていると、ふいにエッシャーのだまし絵が思い出される。フリーダ・カーロのどこかサイボーグっぽい自画像ともダブって見えてくる。見えないものにどんなカタチをあたえて表すか、という手法としては同じだ。


 ただ、同展キュレーターの見識と力量の高さは、むしろ展示会全体でアクセントのように加えられている現代アート作品に見ることができる。展示前半で、ぼくがもっともグッときたのは「エクササイズ・パレード」という作品。


 白く平べったい円柱型のブースに入ると、中央は空間、その左右両面はディスプレイになっていて、そこに動画が流れだす。左右が一本の廊下としてつながっていて、平面画像に立体感をあたえている。
 まっすぐな廊下を、白いガイコツと、ヒト型の赤い筋繊維の集合体(しかも無数の針が全身に刺さっている)が、交互に馬跳びしながら黙々と前進している・・・・・・?
 いったん、ブースを出て説明を見ると、ガイコツと筋繊維体は、ヒトの身体をふたつに分類したもの。ガイコツは主体(精神)を、筋繊維体は客体(痛みを感じられない肉体)を象徴している、と説明書きにある。


 それらが馬跳びをくり返しているところに、時おり、大きな白い球が通りぬける。それは人に「痛み」をあたえる7つの球らしい。「煩悩」と見てもいい。この「痛み」ボールが通り過ぎる度に、精神の象徴であるガイコツが頭をかかえたり、ひどく落ち込むのに、筋繊維体はまるで気にしないんだな、これが。その対比がまず笑える。
 喜怒哀楽にゆれる自分を、ぼくはそのガイコツに見つけるから。
 が、最後にはガイコツも筋繊維体も一瞬のうちに、突如あらわれた大蛇に飲み込まれ、じつにシュールに終わる。大蛇はおそらく「運命」や「寿命」の象徴。


 観終わった後、苦笑いするしかなかった。
 4つのキャラクターで、人間の一生を端的に戯画化していて、なおかつ笑いと無常観のバランスが絶妙。上質の「メメント・モリ(死を想え)」作品に仕上がっている。マグナス・ウォーリン、タダモノじゃない。
 数日前に書いた「不平の合唱団」(「医学と芸術展」のチケットで、最後に観られます)とタイプは違うが、有限の生命を笑い飛ばすというコンセプトは共有されている。いずれも閉塞感の強い世の中だからこそ、その輝きを増している。