稲穂も垂れる8月


 黄色に色づくたくましい稲穂にニンマリ、その根元にぎっしり並ぶ雑草(コナギ)にゲンナリ。いのちをみなぎらせる生命力は、だけだけしく照りつける日差しにも敢然と立ち向かっている。


 田植え時に、ヒョロッとした10センチの2、3本の苗代は、その背丈は今や1mを超え、7、8本へと窮屈そうに茎分かれしている。
「土からは養分を、そして日差しと水をいただきつづけて実り、それを食べる人間は、だから『いただきます』と手を合わせるんですよ」
 以前耳にした言葉を思い出す。
 その延長線上で、自分がひとつの循環の中で生かされていることを実感する。大地がもつ太古からのダイナミズムと、せいぜい70年ぼっちの寄る辺ない自分の命との遠近法。田んぼ仕事(といっても大半は雑草とりだけれど)を通して身につけたものだ。


 今日は、すくすく伸びてきた二種類の大豆の周りの雑草取りを、適度に水分を補給しながら2時間弱。汗ぐっしょりの作業着を着替えてから、近くの農産物直売所で買った昼食とビール。木で組まれたベランダの先の森の木に、カブトムシのオスメスを見つけて、男たちが歓声をあげる。はじめてオニヤンマを見つけた田んぼから、吹きあげてくる涼風を全身にあびながら1時間半ほど昼寝。目が覚めると、心地いいダルさにつつまれる。

 夕焼けに染まる都心までもどってくると、高坂さんの車で流れる故・松田優作の野太いブルースがピタリとはまっていた。
 そういえば、ぼくらの田んぼの傍らには、気の早いオレンジの秋桜が揺れていた。誰にというわけでもなく、両方の手をしずかに合わせたくなる夏の一日。