丹羽順子著『小さいことは美しい シンプルな暮し実践法』(扶桑社)

 ぼくにとってのこの本の肝は、以下の部分にある。

何が楽しいか、大げさに言えば、それは「自分たちの生き方を、自分たちで決める」というやりがいです。結局、今の問題は衣食住に関わるすべてのことをほかの場所に「丸投げ」してしまっていることだと思います。原発などは、その最たるものです。電気にしても、食べ物にしても、ガソリンにしても、外からやってくるものに完全に依存して、わたしたちの暮しは成り立っているわけですが、もうおんぶに抱っこな生き方は、格好悪いし恥ずかしい。知らずしらずのうちに危険なことがたくさん起こっているようで、とても怖い。お金もかかって仕方ない。

 ただ会社で働いていれば、企業も儲かって、収入も増えて、消費して、束の間の幸せを感じられる時代は終わった。地域も、政治も、行政も誰かに任せて、会社でひたすら頑張っいても、放射能に汚染された空気や水や食べ物から家族は守れない。地震などの非常時に助け合える地域のネットワークなどなおさらだ。政治も増税を強いてくるだろう。


 昔、ある主婦の方から、こんな言葉を聴いたことがある。
「美味しい食べ物をつくるには、お金をかけるか、愛情をかけるか、手間をかけるか。お金がなければ、手間と愛情をかけてあげればいいのよ」
 丹羽さんが日常生活のうえでやっていることも、料理や地域活動、仕事や自身の健康や子育てに手間と愛情をかけ、結果として、生活者である自分の足腰を強くすること。


 クリエイティブという言葉は、まだまだ美術家や広告代理店など一部の人たちのものという先入観が強い。
 だが原子力ムラに象徴されれるように、大きなシステムの多くが拝金主義や、内向きの秘密主義などに冒されてしまった今、普通の人たちが、それぞれの小さな日常の中で、手間ヒマかけることに豊かさを見出すことが、これからのクリエイティブと呼ばれるようになる。丹羽さんはその最前線にいる。
「これからは、美味しいお米を作れる人がカッコイイと言われる世の中になりますよ、いや、もうすでにそうなり始めてますから」
 以前、丹羽さんに取材したとき、くしくも彼女がそう言っていたことを思い出す。