『en-taxi』6月号(扶桑社刊)〜角川春樹大特集「慈悲と無頼の栄光の刻」

rosa412004-07-28

 宮沢賢治像だ。盛岡市材木町にある430mほどの通りは、別名「いーはとーぼアベニュー」と呼ばれる。この通り沿いにある光原社は、かつて宮沢賢治著『注文の多い料理店』を出版した会社で、現在は民芸品店とカフェを運営している。その通りに、この賢治像やセロのオブジェなどが置かれ、観光スポットになっている。 
 27日(火)に東京を発って青森・六ヶ所村風力発電の取材で出かけた。その帰途、盛岡で一泊して、現地でとんかつ店を営む知人と20年ぶりの再会を祝った。そのことはいずれ書く。なにより、今日盛岡市内で買った本に掲載された、角川春樹の文章について書きたいからだ。扶桑社の少し小ぶりな月刊文芸誌『en-taxi』に掲載された。
 収監前に胃の四分の三を切り、腸閉塞もわずらい、いつ再発するかもわからない状況下で、途中、体調を崩して、98%が末期癌患者だという八王子医療刑務所に移り、周囲が重病人ばかりで、次々と死んでいったと彼は書く。そういう経験をふくめた獄中生活の中で、俳句に大きな変化があったという。
 その変化とは、現実や事実は二割で、八割が虚、フィクションになったことだ。その事例として自らの獄中離婚について触れ、ひとつの句「五月憂し妻の手紙にSO LONG」を取りあげて、角川はこう書く。
「実際に別れの手紙がきたのは一昨年の四月。しかし『五月憂し』の方がいい。本当は、手紙がきて一週間は眠れなかったし、離婚が成立したのはそれから一年以上かかったけれども、自分の心では、手紙がきた時点で離婚している。全部吹っ切れる、いい機会だという思いは、そういう虚でこそ表現できる。獄中で慈悲の心もひとつにあるけれど、そういう俳句の虚の真実が身に沁みてわかったね」
 
 この「過去のように、現在を、生きる」と題された文章全体が、カラカラに乾いた井戸にちろちろと湧きでるような詩情があり、すこぶるいい。なかでもこのセンテンスにおれはグッときた。強気と脆さが混在して、静かに、けれど大きく前後不覚に揺れている。
「全部吹っ切れる、いい機会だ」と言い放った直後に、「虚の真実」にしがみつかなくてはならない表現者としての、乾ききった孤高さがしんと屹立している。もっとストレートにいえば、「虚の真実」の四文字がオッ立っている。少し触れただけでも、そのどこかが千切れて、鮮血がにじみ出てきそうなほどオッ立った男根。そんな言葉にひさしぶりに巡りあった。