アンドレイ・クルコフ著『ペンギンの憂鬱』〜読む者の孤独さ加減を増幅させる不穏さ

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

 
朝から曇天の一日だった。
朝と昼兼用の食事を食べてから、ひさびさに読書三昧の日曜日をすごした。途中で切り上げて、明日の仕事の準備をするつもりで読み出したが、結局、読みきったら日が暮れていた。
 ウクライナ在住の作家、アンドレイ・クルコフの文章は短くて、テンポがいい。しかもミステリアスな展開は、先日観た映画『父、帰る』を思い出させた。だが物静かで淡々と進む文章の裏に不穏な陰(かげ)が見えかくれして、読むうちに気分が少し重くなり、BGMをクラシックからR&Bに変えて、それでもなお読みつづけた。
 ・・・彼女に去られた孤独な短編小説家が、動物園から譲り受けてきた憂鬱症のペンギンと暮らしはじめる。生活費をかせぐために、彼はまだ生きている著名人の追悼原稿をあらかじめ書いておく仕事を新聞社から請けおう。だが彼が追悼記事を書いた人たちが次々と死んでいき、小説家の身の回りにも怪しげな人陰がちらつきはじめる、といった内容だ。劇中劇に似て、追悼原稿が後でストーリーそのものに影響をおよぼすという展開のさせ方が巧みだ。
 ページをめくるたびに、読む者の孤独さ加減を増幅させずにはおかない、この不穏さの正体はいったいなんだろう?たとえば、ぼくも会社員ではないから、外部との関係はあいまいだし、社会の中での立ち位置もこころもとない。だが、そういう表面的なことではない。もっと本質的なことだ。
 主人公とペンギンだけの生活に、途中で他人から預かった少女とベビーシッターの若い女という同居人が加わる。彼らは家族みたいな平穏な関係をきずく。だが若い女と性交しても、あるいは少女のことを何かと気にかけても、主人公は彼らに対して愛情をもてないことを確信している。その半面、4人!?でいるとホッとする。彼には親友がいないからだ。さりげなくチェチェンの不穏さもまぎれこませてある。
 小説の中のそれは、知らないうちに戦争に加担していたり、子供が子供を殺しても珍しくない、ぼくの暮らす社会の不穏さとつながっている。あるいは携帯電話やEメールみたいに、自分が必要なときだけ相手にアクセスして、反対に気分がむかないときには、にべもなく相手からのアクセスを拒むことができる人間関係とも似ている。そのくせ、物事の大きな流れの前では誰もが無力なところも。

 その疎外感にも近い孤独さ加減の種が、読む者の心にも必ずあって、物語の登場人物が一人、二人と消える度にその種が少しずつふくらむ。短編小説家の持てあましている孤独を、ふと気がつくと読者であるぼくもしっかりと共有していて、まるで揺らぐことのなかった<今、ここにある>という確信がぐらぐらしだす。生と死という、小説が挑むべき永遠のテーマをひさしぶりに堪能した。
 ちなみに、これはベストセラー小説『朗読者』を生んだ、新潮クレスト・ブックスの9月刊行作だ。『電車男』とは違う、老舗文芸出版社の面目躍如といったところか。装丁の絵がいい。
新潮クレスト・ブックス