小林照幸『朱鷺(とき)の遺言』〜ふたつの目の「敗戦」

朱鷺の遺言 (中公文庫)

朱鷺の遺言 (中公文庫)

 一般の人にはあまり知られていないけれど、日本のある分野の歴史を語る上では欠かせない人物ー小林さんが描く人物ノンフィクションは、そちら側の人が多い。この作品も、朱鷺という鳥の実態がまだ不明だった頃から、その鳥に魅せられ、自然環境の変化の中で絶滅の危機に瀕することを世間に知らせ、その保護活動を担った新潟県佐渡島の農家や中学校の先生が主人公だ。
 まず昭和20、30年代の話が中心なのに、当時の状況がかなり詳細に書かれているのは、おそらく、「トキの先生」と呼ばれた中学校教師の当時の観察日誌がかなり克明なものだったからだと思う。単行本自体が1998年刊行だから、そう考えるのが妥当だろう。週末になると家族ほったらかしで朱鷺を待ち続けた、狂気めいた観察日誌をもとに、小林さんが読者が映像を思い浮かべやすいように、細やかな補足取材をしているはずだ。
 その徹底した三人称の文章も淡々と読める良さとともに、朱鷺にかかわる人たちがその保護のために人生を費やした軌跡の重みが、ドキュメントとして確かな手ごたえを読者に与える効果をあげている。
 たとえば、主人公の一人である中学校教師は、大戦中に従軍経験をもつ。戦死する仲間を救えなかった無念が、種を絶やそうとする美しい朱鷺についての啓蒙や、保護活動にのめりこんでいくきっかけだ。
 だが結果的には、その保護に政府が乗り出してくるにつれて、それまで地道な生態調査や草の根の保護活動をおこなってきた彼らは蚊帳の外に置かれていく。そして政府によって捕獲された朱鷺のタマゴや成鳥たちは次々と死んでいく。
 高度経済成長で、山林の開発が進み、観光客が押し寄せる中でまず朱鷺の餌場が失われ、その一方で鳥たちがかろうじて食べるドジョウなどが高濃度の農薬漬けだったために死んでいく。『朱鷺の遺言』は、その保護にかける人たちが無残に敗れていく物語であると同時に、高度経済成長の裏面史でもある。敗れたのは絶滅した朱鷺や、一部の人たちだけではない。そんな物語の厚みが、この本を良質なドキュメントたらしめている。