神楽坂『powwow』de『見仏記』

rosa412005-01-20

 飯田橋で打ち合わせを終えて、次の取材まで2時間近くあったので、まよわず神楽坂の喫茶店『powwow』へ。赤レンガが埋め込まれた床、ロッジ風のウッディな内装。それに右上写真の照明も、無骨なのに柔らかくていい。BGMがないのも気に入っている。かなりの老舗らしく、客層も男女ともミドル・エイジが多い。ちなみに「powwow」とは、「集会」「会談」などを意味する英語。
 ここで坂道側の席に座り、大きな窓に取り付けられた木の格子を通して道行く人たちをボーっと見てるのがお気に入りだ。とてもリラックスする。今日は次の取材ノートを準備してから、みうらじゅんいとうせいこう共著『見仏記』(角川文庫)を読む。左アンテナの「千夜千冊」で松岡さんが激賞していた。確かに、仏像めぐりのヤジキタ道中っぽくていい。

「大体さあ、どういうプロセスで東北に仏像が伝来したわけかな?」
 いつの間にか、東北の仏像を特集した雑誌を手にしている。みうらさんが乗り気を見せてくれたので、私はうれしくなって答えた。
「まあ、運んだり、作ったりってことでしょう。京都あたりの仏像に影響受けて」
「その作った場合ね、必ず仏師を呼んだわけじゃないよね、きっと。そうそう来てくれないでしょう。当時は東北新幹線ないわけだし」
「だから、絵師みたいな人が見に行ったんじゃないの?で、絵にして東北に帰って来てさ、それを基にして彫ったりしたんだよ」
 断片的な知識だけを頼りに、我々の考察は進んだ。
「帰って来る途中で絵をなくしたりした絵師もいたね」
「いたね、絶対。しょうがないんで適当な記憶で描きなおした。あせったろうね。
「あとさ、いとうさん、色を忘れた絵師もいたね。東北仏には色間違いがあると見た」
(中略)
「しかもさあ、下から見上げて写すとなると、絶対バース(遠近法)が狂うでしょう」

 なんて箇所を読みながら、なるほどねぇと思わずつぶやきそうになる。この冗談とも本気ともつかない雑談が、見仏記のノリであり売りでもある。
 かと思えば、京都や奈良とくらべて、東北の仏像があまりにも間近で見られる点に着目した、いとうはこんなシャープな考察をひろうする。

 その意味では、奈良や京都の仏像が必ず拝観者から離されて置かれているのは、本来仏像保護のためでも、威厳を保つばかりでもないのではなかろうか。遠い海の向こうから来た文化は、堂内でも遠くに置かれるべきであり、その距離にこそ人々は憧れたのだ。すなわち、伝来好きの風土(エキゾチシズム)が、その配置を作り出したのである。

 仏像めぐりなんてジジ臭いテーマを、単行本にとどまらず、文庫本にして『見仏記3』までシリーズ化させたものは、ひとえに、この二人ならでは洞察力と感性のヤジキタぶりにある。そう痛感して、神楽坂を後にした。でも今日注文したモカ650円は、少々薄めで物足りなかったな。

見仏記 (角川文庫)

見仏記 (角川文庫)