いとうせいこう・みうらじゅん『見仏記』〜スローカーブの異文化体験記を楽しむ成熟

 読み終えて、すごい仕事だなぁと思った。さらにこの文庫本が、平成9年6月に発行されて、昨年5月に16刷だという事実を知って、すばらしいなぁと恐れ入った。週末に近所の書店にいくと、この文庫本が三冊ならんで平積みされているのを目撃して、もう呆気にとられてしまった。この国って、予想以上にかなり成熟しているんだ。
 おそらく仏像なんて、いとうさんやみうらさんのファン層は関心ないだろう。そういう人たちに、しっかりと文庫本を買わせている点がすごい。
 だが、その理由は読めばわかる。個々の仏像への詳細には興味がなくても、いとうの受けとめ方や、みうらのとらえ方がじゅうぶんに楽しく読ませ、口元をにやりとさせながら眺めさせるからだ。
 それも、いわゆる直球系の仏像解説書ではなく、球種にたとえれば、スローカーブとかチェンジアップ系の見物記だ。実にゆる〜い。それなのに、いや、それだからこそ、ぼくをふくめて、読者がさして興味がない分野をテーマにして、ここまで読ませてしまう。その文と画の力量は、今さらながら敬服する。
 とりわけ、みうらさんに対しては、今までまるで関心がなかった。彼が書いた画も今回初めてだ。その人となりも、いとうさんの文章を通して初めて知ったのだけれど、その魅力の切れ端程度には触れられた。そしてまたもや、おれは自分の不見識を恥じ入っている(^^;)。

結局のところ、この国はなんでも受け入れるように見えて、何ひとつ受け入れていない。吸収したふりをして、それを独自のものとしてみせるが、いつでもまた外に放り出す用意をしているのだ。なんという空虚、なんという馬鹿らしさ、なんという弱さだろう。つまり、真に他者を受け入れて変化し、それを自己そのものと考える思考がないのである。
 その仮説を聞いて、みうらさんが言った。
ベンチャーズみたいなもんだってことだよね。仏像は」
 すごい簡略化である。思わず引き込まれた。
「何度も来日してくれるとき、日本人は喜ぶじゃん。ガイジンがこの国を好きになってくれたって思って。でも、日本に住んでるらしいぜってとこまでくると、こんな国に住んでるなんてダサイって思うんだよね。向こうはやっと受け入れて愛してくれたって思っててもさ、その時点でもう日本人は内心馬鹿にしてるの。そう思いながら、でもうれしいような気もして受け入れるっていうような。まあ、最低の国だよ」

 他人ではけっして代替不可能な、二人の、二人による、二人だけの慧眼のエッセンスが、まるでマギーブイヨンみたいに、ぎゅぎゅぎゅっと凝縮されて、ここにある。それは仏像を突きぬけ、わたしとあなたの国のアキレス腱か、鳩尾(みぞおち)あたりにまで突き刺さっている。 
 くしくも、みうらが「ベンチャーズ」を引用しているが、日本における「アメリカ」への愛憎も、「ライブドア(IT)VSフジテレビ(マスメディア)」の構図も、これで全部説明がついちゃうんだから。今月下旬に九州出張があるので、ぜひ「見仏記」見物ツアーを試みたい。

見仏記 (角川文庫)

見仏記 (角川文庫)