玄田有史『仕事の中の曖昧な不安』〜たとえば、「頑張る」という透明な手錠

仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 
 2001年、サントリー学芸賞を受賞した一冊だ。中公文庫本で読んだが、4年前にフリーター増加現象の背後に、中高年社員の雇用維持のために、企業が新卒採用を抑制している現実があると看破して、注目をあつめた。4年後の今から考えると、やはり慧眼だ。単行本がすでに14刷とはスゴイ。文庫本は今年3月に初版が出た。
 今回読んでみて、なるほどと思う箇所はいくつかあったが、もっともハッとさせられたのは、「仕事にまつわる曖昧な表現をできるだけ取り除き、自分たちの仕事を自分たちの言葉で語ってみる」(第六章「成果主義と働きがい」P160)という視点。
 玄田さんは、そこで「頑張る」・「忙しい」・「普通は」といった言葉をつかうのを止めようと提案している。
 たとえば、「頑張る」を止める理由についてはこう書く。

自分がめざすゴールは、具体的な責任をもって語られなければならない。曖昧に「頑張る」という言葉を使うことにみんなが積極的に歯止めをかける。それが、部下と上司のあいだでの仕事関係を明確にしていく第一歩となる。日本語には「頑張れ」以外に、人を励ます、勇気づける言葉が少なすぎる。

 これはニートや、ニートと親の関係を取材していて、ぼくも強く実感することだ。それだけとどまらず、この「頑張る」が、どれだけ多くの人や人間関係を空回りさせていることか。「頑張る」という言葉の有無をいわせず、人を追い詰めるイメージが、おびただしい不幸を量産していると思う。それは『希望のニート』に書かれている「糊しろのない生真面目さが、事態をさらに悪化させる」という指摘にもつながる。
 ぼく自身も42年の人生で、この「頑張る」でずいぶんと空回りし、そのくせたいした成果も残せずにきたなぁと思う。言葉とは、無意識に自分を追い詰め、規定もしくは限定して、とても息苦しくさせる透明な手錠だ。
・・・最近、取材と原稿書きに追われてなかなか書けません。明日から一泊二日で長野取材で、また休みます。