「無責任な消費者」から見えてくること〜友人とのメール交換から

rosa412005-10-09

 同じ業界でがんばっている「ふらっとブログ」さんと、ここ数日、続けてメールを交換している。それは彼の「無責任な消費者」という言葉に、ぼくがとても引っかかるものを感じたから。
 彼は、多くの個人ブログやHPは商品やサービスの感想などが多く、神様みたいに書いていると指摘した上で、だけど「無責任な消費者のまま、いろいろ発言されてもね」と書く。どうやら、個人メディアの蔓延に違和感をおぼえているようだ。
 ジャーナリズム系でも、視聴者や読者といった情報の受け手(消費者)の立場から一歩も出ようとしない。彼らは消費者、つまりはお客さんだから、商品やサービスに対していつも文句を言うだけ。そこが無責任だというのが彼の視点だ。
 その視点を借用すれば、ここでも何度か書いた先の総選挙の自民党圧勝という結果にも、「郵政解散」やら「刺客報道」やら「小泉改革」といったニュースを、投票という形で消費した「無責任な消費者」という表現が、ぼくもとてもしっくりとくる気がした。
 それは「冬ソナ」の撮影地に大挙して押しかけてドラマや流行を繰り返し消費する、オバサンたちの行動様式とそっくりだから。彼女らほど、ニュースや流行に敏感で、無責任な消費者はいない。戦後の世の中は、「市民」や「個人」ではなく、この「無責任な消費者」をただただ量産してきたとは言えないだろうか。