松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』〜引き算の美学(1)

17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義 
 ありふれたものが、まるで違った姿で立ち現れる。そこに、あらゆる創作物のひとつの存在意義ある。それはたったひとつの言葉でも1行の文章でもいい。
 松岡さんの本で、ぼくはその歌に出会った。

 見渡せば花ももみじもなかりけり 浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ

 (中略)
 何もないにもかかわらず、わざわざ「花ももみじもない」と言ってみせることで、それを聞いた人の頭のなかには、満開の桜や紅葉の盛りが浮かんできてしまうという、おそるべき歌です。 このように、そこにあったものが見えなくなってしまう。見えないことで、いっそう、かつてあったはずのそのことが、心のなかにあはれに思われてくる、という感覚が「幽玄」です。、「余情(よせい)」という言い方もします。やはり、引き算の美学でしょう。

 冒頭の短歌は、藤原定家の一首。国語の教科書にも載っていた有名なものだが、ぼくは実りの秋がもつ寒々しさや、寂寞感に光を当てた歌だとばかり思っていた。
 だからこそ、松岡さんが書く「おそるべき歌」という感性に面食らった。しかも、それこそが「幽玄」だったとは・・・。これもまた、「目からウロコ」級の驚きだ。(つづく)