倉敷美観地区にて(5)

rosa412007-04-13

 じつは岡山へ向かう途中、編集者と茂木健一郎さんの話になった。茂木さんと、先の『脳の欲望』の著者である野村進さんの対談に、その編集者が同席したという。そのとき、脳科学という本来ならそんなに売れそうにない分野のの本が売れている現状について、茂木さん本人はこう語ったという。
 今回のブログのテ―マに関連するので、伝聞だと断った上で書く。
「自己責任」というキーワードが世の中に広まるにつれて、自分の能力をフル活用しなければ生き残っていけないのではないか、という強迫症めいた意識が強まり、それが人々に脳科学本を手にとらせる背景にあるのではないか。それは自分としては不本意なことなのだけれど・・・。
 もちろん、これもひとつの見解でしかない。ただ、それが先の「ス―パ―老人」志向にもつながっている強迫観念であることは間違いない。ふたたび、野村さんの本に戻る。ある老化研究者はこうつぶやく。

”ス―パ―老人”の概念は、老いの問題をぎりぎりまで覆い隠すことにつながるんじゃないですか。たとえス―パ―老人であっても、死に至るまでの時間はあるわけで、そのときは他者の介護に身をゆだねざるをえないのですが、そういう事実も隠されてしまう。新たな老いの否定になりかねないと思いますね。年取って弱ったっていいじゃないか。ぼけたっていいじゃないかというふうには考えられないだろうか。老人痴呆が終末イメージとは、私には思えないんです」

 老いも若きも、いったい何のために、それほど急き立てられなければいけないのか。そんな「自立」は、ただの「孤立」ではないのか。「10秒メシ」や「ス―パ―老人」も、「100円バーガー」や「自己責任」も、過剰な「若さ」や「健康」信仰も、全部ビョーキじゃん!自分の内側に巣食うビョーキもふくめて、いったん、そう言い切っておきたい。
 ボケても心は生きている人たちと時間を過ごせたことで、ぼくはそんなところに着地した。(了)