たまには憲法前文でもどうぞ

rosa412007-05-03

 一昨日、うちで5年越しのクレマチスが今年も花を咲かせた。その花びらの紫は年を追うごとに色あせていく。それでもなお咲きつづけるものを見ていて、今まさに踏みにじられようとしているものについて思う。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが
国全土にわたって自由をもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって
再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに
主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国
政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来
し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれ
を享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理
に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び
詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高
な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義
に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、
平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう
と努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。わ
れらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のう
ちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視
してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立た
うとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目
的を達成することを誓ふ。

 今あらためて読んでみると、牧歌的(あるいは呑気)な理想論であ
るけれど、いい文章だと思う。国の現実がそれに全然追いついていず、
むしろどんどん遠ざかっているとしても、その体裁も精神もけっして
悪いものではない。
 たとえば、「(国政の権威)は国民に由来し、その権力は国民の代
表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」なんていう
その福利を、ぼくはあまり受けとれていない。
 その機能不全ぶりを、国民から権利を委託され、それを行使する代
表者たちがどれだけ恥じ入っているのかは不明。
 一方で、その形容詞句は全部すっ飛ばして、いたずらに「国際社会
において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」の部分だけを目指してい
る輩も多い。
 彼らの論理は、「国連供託金を日本がもっとも多く出してきたから、
そろそろ常任理事国入りさせろ!という論理を一歩も出ない。
 これは、「カネを出すから近鉄バッファローズや、ニッポン放送
買わせろ!」と主張したホリエモンと同じ論理だ。だから自民党が彼
衆議院選挙に担ぎ出そうとしたのは、じつに筋が通っていてスバラ
シイ。これこそ言行一致の「美しい国」だ。
 そして改憲派の最大の力点は、すでに巨大な自衛隊があるのに、戦
力の不保持と交戦権の否認を定めた憲法九条があることの矛盾だろう。
しかし、この牧歌的な憲法を無いがしろにして、既成事実を着々とこ
しらえてきた小賢しさへの羞恥心はまるで感じられない。その不感症
ぶりは、社会不正さえあっさりと踏み越えてしまう、最近の企業の暴
走ぶりとも重なって見えて仕方ない。
 人や組織として、あるべきはずの原則がじつにあっさりと無いがし
ろにされてしまう点で、その不感症ぶりが酷似している。それゆえか
どうかは知らないが、今日付けの日経紙は、憲法改正に51%が賛成
という世論調査を発表した。
 その賛成派の気分を、作家の田口ランディさんは「イメージなんで
すが」と断った上で、こう看破している。(今日付けの東京新聞での
作家・半藤一利さんとの対談から抜粋引用)

 護憲派は貧乏人の見方に見えるんです。ちょっとプチブル層から見る
と自分の既得権を脅かしそうな人々に見えるんです。今、護憲派への共
感度が下がってると言われるでしょ。護憲派の意見があまり好かれない
のは、正義で人を責めるからですよ。戦争はよくないと真摯に語るけど、
社会悪とか政治腐敗を暴いたり、弱者救済の活動をなさっているリベラ
ルな方々が発言すると、無責任で裕福な自分が責められている気分にな
るんです。

 社会に言葉のボ―ルを投げ込む仕事をしている一人として、胸に刻ん
でおかなくてはいけない観点だ。