本谷有希子原作「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」〜こんな時代に作品のエッジを立てるとは

予想どおり、エッジのおっ立った物語だった。何より、タイトルが抜群。本谷有希子さんの世界は、無造作なくせに精緻で、エグイくせに悲しげで、パワフルなようでいて刹那的な、まさに今のわたしとあなたが暮らす世間の物語「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」。
 ちょっとスタイルがいいというだけで、自惚れて女優になると上京して4年になる長女が帰郷する。両親が交通事故で亡くなったからだ。だが、長女もまた能力がないゆえに、これといったキャリアも積めずにくすぶっている。だが過剰な自意識とプライドだけは健在で、女王様きどりで家族を見下ろす。その過剰な自意識は、時に兄を血まみれにしたり、兄嫁が寝ているすきに、兄を誘惑したりする始末の悪さだ。妹を高温の風呂でいじめたり、肉体関係のある義兄の首筋にカッターナイフを突きつけたり、縦横無尽のわがままぶりである。
 露悪的で、時に凶暴で、醜悪なほどに自己中心的。サトエリ演じる、そんな長女の描き方に、いまどきの老若男女が起こす社会面の記事に共通する空気感がある。こんな時代に作品(フィクション)のエッジを立てるとは、こういう方法もあるのか。
 また、帰郷したサトエリが君臨する家族の鬱屈とした有り様もいい。ちょっと頭がいいとか、金持ちだとか、女性なら美人だとか、胸が大きいという理由だけで、周囲が卑屈におもねってしまう、のっぺりとして貧相な”成果主義”めいた世の中の描き方に説得力がある。
 以前ここで書いた映画『ゆれる』(西川美和・原作&監督)が兄弟間の軋轢だったが、あの姉妹版的な物語にも思える。両作品とも、ラストにある逆転劇を用意している点も似ている。
 サトエリは確かにはまり役だが、ぼくにとって一番際立っていたのは、底抜けのお人好しな長男の妻役の永作博美さん。いままでの演技の上手さに、ああいうお間抜け役まで演じきったことで、これから10年、20年、実力派バイプレーヤーの地位は揺らがないだろう。今度は舞台で、「劇団、本谷有希子」を観てみたい。