見えない身体(7)〜寂しきリバース(rebrith)

rosa412007-09-20

感覚  
 見るもの、聞くものがほとんど意味不明というのは、海外旅行の不安であり醍醐味だ。
 21歳で韓国ソウル市に1年間留学した際、ぼくは開き直って、まるで赤ん坊に戻ったような自分を、めいっぱい面白がることにした。なにせ、生活開始1週間あまりで、水ぼうそうにかかり、大学病院で受診後に近所の小さな病院に入院して、全身を赤チンまみれにされるという、トンデモナイ幕開けだったせいもある。
 バスや地下鉄の車内広告から、路上のいかがわしそうな看板、エッチっぽい雑誌の見出しまで、周囲に「これ、どういう意味なの?」攻勢をしかけた。外国人である利点を、ここぞとばかりにフル活用しながら、言葉や文化、テレビで流行中のギャグまでを身につけていった。身体は大人なのに頭は赤ん坊という初体験のギャップが、少しずつ埋まっていくプロセスは、嬉しいような残念なようなアンビバレントさがあった。
 今回腰痛になる前から、食事前に簡単な屈伸運動をしていた。それを昨日から再開。朝はまだまだ硬いが、お昼過ぎにもう一度やると、だいぶ前屈伸などができるようになってきた。靴下やバンツをはいたり脱いだりするのも、だいぶスムーズにできるようになった。
 椅子に30分以上座っていると、右腰が張ってくる感じも少しずつ和らいでいる。少し張りを感じると、家の中をかかと着地でしっかり、ゆっくりと歩き回ってるとほぐれてくる。毎日20、30分の近所のウォーキングと、腰湯レベルの入浴もつづけている。使わないと退化し、使うことで活性化する。いのちと身体の関係はじつに合理的。あまり笑わない人が、だんだんと「毎日つまんないよ」という顔つきになっていくように。
 身体が以前の機能を少しずつとりもどしていく。そんな感覚を愛しく思っていたら、韓国で覚えた先のアンビバレントな感覚をふいに思い出した。思うように動けなくなって改めて痛感した「ふつう」の輝きが、たしかに少しずつ色あせてきている。