NHK日曜美術館「日本画家・堀文子」〜5ミリでも昇りながら死にたい 

 おおざっぱに言うと、世の中には2通りの人しかいない。


 舌打ちしている人と、何かを求めて動いている人。いろんな人に会い、その話を聞く仕事を20年近くつづけてきて、そう思う。幸運にも、ぼくが会ってきたのは後者の人たちが多かった。

 今朝、日曜美術館で偶然知った堀文子さんは、もちろん後者だ。(本日夜8時再放送される)89歳の今も、「5ミリでも昇りながら死にたい」と、白髪の下の色艶のいい顔で話される。42歳でご主人を亡くされ、失意のときをへて以降、画家としてひとりで生きてこられた。ある病いを得て、世界各地に出かけることもままならなくなったとき、彼女は身の回りのものに目を向ける。


 たとえば、水の中に棲むミジンコ。肉眼には見えないそれを、スポイト1滴分ルーペに落とし、電子顕微鏡で見ながら彼女はこう驚嘆する。「この精密さを見てください。この美しさ、すごいでしょう。この小さな中で、血液は循環し、生きる仕事をやっているんです。彼らは工学部だって出ていないんですからね」
 あるいは、蜘蛛の巣に霧吹きで水をかけ、日差しをうけて輝くそれを見ながら、ふたたび彼女は感嘆する。

「きれいでしょう。今まで蜘蛛なんて、わたしは忌み嫌って、どこか見下ろしていたけど、今なら自分より、彼らの方がはるかに偉いことがよくわかる。それがわかるのに、ずいぶん時間がかかりましたけどね。それは、私の死が近いことと関係があるんでしょうね。

 堀さんの言葉に背中を押されるように、紅葉が深まる公園に走りに出かけた。すっかり色づいた街路樹のイチョウが、風にその葉を散らしていた。ヘリコプターみたいに葉を回転させながら落ちるもの、川に流されるように落ちるもの。同じイチョウでも、その散り方はさまざまだ。
 晴天の日差しを照り返し、その葉をきらきらと光らせながら舞い落ちる。それを見上げて歓声をあげる人たちと、うつむいて急ぎ足で通りすぎる人たちがいた。