『CUT』6月号 宇多田ヒカル3万字インタヴュー(2)

 歌でも小説でも映画でも、なんでもいい。
 その表現が、いったい、どういう場所から生まれてきているのか。その源(みなもと)の在り方が、その表現の深さや広がりを決める。そのことをあらためて痛感させられる。


 インタヴューの中で、渋谷陽一は、宇多田の自伝の一節を引用している。

歌を歌うことは人であるために必要なことのように思える。メロディは誰かの心の原風景。懐かしい場所からのメッセージ。リズムは死へ向かう生命の行進の音。歌は祈り、願い、誓い。音楽は慈悲。

 もちろん、誰もが簡単に「慈悲」という高みにたどり着けない。
 彼女の場合、このインタヴューを読むと、子ども時代に、一度絶望している。その詳細に興味がある人は、同誌のインタヴューを直接読んでほしい。
 ひとつだけ書けるのは、失望ならともかく、そう簡単に人は絶望できないということ。彼女自身が「慈悲」のニュアンスが特に出ていると語っているのが、『DEEP RIVER』。