阿奈井文彦『サランへ 夏の光よ』(文藝春秋刊)

 おおっ、とうとう、おれも幻影を見るようになったかと思ったよ。
 4人部屋病室の、入口に近い右側ベッドであぐらをかいて座り、黙々と新聞を読まれていた阿奈井さんが、少し上目づかいでそういわれた。低音がよく響く、聞きなれた柔らかな声と、どこか自虐的なユーモアを語られるときの、少し突き出した唇がなつかしかった。


 去年、倒れられた阿奈井さんを病院に見舞ったときだった。
 さすがに面やつれはされていたが、血色のいい肌と、聞く者をほんわかさせるユーモアは相変わらずで、ぼくは安心した。
 まだ書くことがあるぞって、きっと神様がおっしゃっているんですよ。お元気な様子に、ぼくはそういってみた。自分の言葉が予想以上に的確だったことを、この新刊を読み始めて確認できた。


 第一章の筏橋(ポルギョ)の冒頭を、少し長いが引用してみる。

 母は目を閉じて、座棺の中に納まっていた。
 座棺は私の背丈より少し高かった。
「さあ、お母さんと最後のお別れをするのよ。お母さんをよく見ておきなさいね」
 母方の祖母はそういって私の背中を抱いて持ち上げた。薄く化粧した母の顔や首まわりは、なぜか束ねた藁(わら)で囲まれていた。こんな稲がらのガサガサした襟巻は母には似合わないと、私はすぐにうつむいた。藁は火葬場でよく燃えるように座棺の中に詰めていたのである。
「ノブちゃんも、お母さんにサヨナラをしましょう」
 伯母(母の二歳上の姉カヨ子)は、弟を抱き上げ、
「ナッちゃん、ノブヒコだよ」
 と涙をながしながら母に呼びかけている。
 弟のノブはわけもわからず棺をのぞいている。八畳間の部屋に集まった親族たちのすすり泣く声が一段と高くなった。


 僕の好きな初期三部作の頃の侯孝賢ホウ・シャオシェン)映画のような、静謐な情感をたたえた書き出し。少しの過不足もない。それに何より映画好きな阿奈井さんらしい。
 場所は、日韓併合時の朝鮮全羅南道(チョンラナンドウ)の小さな町の斎場。阿奈井フミヒコ少年はまだ5歳、その弟ノブヒコは3歳だ。以前、その近くの小学校の教壇に立っていた母は27歳の若さだった。


 いつもながら力みなく淡々とした筆致ながら、読む者の鼻の奥をつんつんと突っつかずにはおかないテーマが明示されている。その場面を読みながら、「蜘蛛の糸」という言葉がぼくには思い浮かんでいた。(つづく)


サランヘ夏の光よ

サランヘ夏の光よ