哀悼の意

[日誌]杉原輝雄さん逝去
「でも、距離が出えへん」
 早朝の暗闇の中で杉原さんが低くつぶやいた一言が、その訃報を知って、ぼくの耳元で鮮やかによみがえった。
 もう六、七年近く前のことだろうか。午前6時すぎ、朝の日課である愛犬を連れての散歩とジョギングに出かけた近所のお寺の境内でのことだ。加圧トレーニングの成果で筋力は増していると答えた六○代後半のプロゴルファーは、冒頭の言葉をつづけた。周囲の暗さでその表情はぼんやりしていた分だけ、その短い言葉がぼくには鮮烈だった。


 前立腺がんを抑えるために、抗癌剤治療として女性ホルモンを定期的に投与される身で、両手両足をベルトで締め上げた状態で、トレーニングを行って筋力アップを図る。体にメスを入れることを拒み、その相矛盾する生き方を選び取られた杉原さんは、その年齢でなお本気で飛距離が伸びることを信じていた。いや、正確を期せば、ただしがみつくかのように信じようとしていた、と書くべきかもしれない。


 そんなの無茶や、と言うことは誰にでもできる。
 しかし、その矛盾を生きると決めた杉原さんを、誰にも止めることはできなかった。そして誰にでも簡単には真似できない闘い方の末に永眠されたことに、心から哀悼の意を表したい。