引きずり回される遠近法 〜池田晶子『41歳からの哲学』

 同じ大きさの小舟を縦に並べて二つ描いてみる。
 上の舟のさらに上に水平線となる直線と、雲を表すモクモク線を引けば、上の舟のほうがより遠くにあるように見え、実際に見えているよりは大きな舟、ということになる。あるいは、まるっきり同じ形の大きな家と小さな家を横に並べて描いても、小さい家のほうが、より遠くに見えたりする。どちらも遠近法という絵画技法のひとつ。

 他方、池田さんの言葉による遠近法は、それまでぼんやりとしていた物事の輪郭が、一瞬にしてくっきりと焦点が合う。あるいは、漠然と良いと思っていたことや、高をくくっていたことの足元が急におぼつかなくなる。その鮮やかな手際は、まさに「目から鱗(うろこ)が落ちる」気持ち良さと、同じくらいの恥ずかしさで、わたしを引きずり回さずにはおかない。

 たとえば、地上デジタル放送とケータイでのワンセグ視聴について、彼女はこう書く。

 人間というのは本当に馬鹿だなあと、こんな時つくづく思う。「楽しめる」「楽しい」ということが、人生の至上の価値だと思っているのだ。むろん、苦しいよりは楽しい方が、その意味では価値である。しかし、楽しいという価値を至上として追求し、これを実現してきた結果、それが価値でなくなってしまうという逆説に気づかないのである。「いつでもどこでも」それを楽しめるようになれば、そんなものが楽しいものでなくなるのは当たり前ではないか。

 楽しいことにはつい身体が動いてしまいがちなスチャラカには、かなりチクチクくるぜ。

41歳からの哲学

41歳からの哲学