いのちを食べるいのち〜本橋成一写真展「屠場」(銀座ニコンサロン19日終了)

 
 無農薬のお米作りを始めて最初に手にしたのは、「田んぼはきれい」という感受性だった。そして田植え、雑草との戦い、稲刈り、天日干し、玄米収穫、あるいは耕作放棄地の開墾と経験する中で、スーパーに並ぶお米の背景が見えるようになってきた。そこにかけられた手間と労力が、それぞれの背後に見えてくるような感覚。それは頭でただわかる、のとはまるで違っていたし、野菜も魚もそうだ。

 肉は泣き叫ぶいのちだけに、もっとヒリヒリする。そのくせスーパーでは臭いもその肉体も、鳴き声も叫び声も奪われた肉片として、無機的な光の下で並べられているだけ。本橋さんの写真と向き合い、頭を撃ち抜かれる光景や、そこで働く人たちの職人技を垣間見て、いのちを食べるいのちとしての自分と向き合う。

 それ以上に、いのちの強さと儚(はかな)さに思いをはせる手段は、なかなかない。それが欠落している人ほど、いのちよりけいざいだと露骨な態度を見せて何ら恥じることもない。

屠場

屠場