わたしたちの、わたしたちによる、わたしたちのための被爆〜 吉見俊哉『夢の原子力』

 開沼博『フクシマの正義』でも指摘されているが、「原子力ムラ」と一部の利権保有者たちを悪者扱いして溜飲を下げているだけでは、社会の本質は何も変わらないという視点に、とても共感する。なぜなら、原爆と同じエネルギーを「夢の力」として受け入れ、世界第三位の原発大国にまで普及させたのは、わたしやあなたや、その親たちだから。


 吉見はこの本の冒頭でこう書く。
 広島と長崎の原爆投下でその威力を実感したアメリカは、米ソ冷戦でのイニシアチブを握るべく、世界の米軍基地への配備を始める。同時に、原子力の平和利用のための原発建設を進める「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」戦略にも着手する。日本の戦後復興と経済成長は、米ソ冷戦体制の内部に逃れないように組み込まれていく四半世紀でもあった、と。


 だが、占領国の日本がアメリカの言いなりだったわけではない。むしろ、積極的に原子力の普及と経済成長を重ね見るようになる。一九五◯年代半ばから原子力平和利用博覧会が、正力松太郎らの読売新聞をはじめ、中日新聞朝日新聞など、日本各地の有力新聞社が主催して全国を一巡する。
 一九五五年、米国下院が被爆地広島に原子力発電所建設の決議案を提出。これを知った当時の広島市長はこれを「亡き犠牲者への慰霊にもなる」と歓迎の意をいち早く表している。

だからこそ、高度経済成長の完成を祝賀する一九七◯年の大阪万博には、日本原子力発電が万博にあわせて運転を始めた敦賀原発一号炉から送電がなされたのである。ちなみにこの一号炉を製造したのはゼネラル・エレクトリック(GE)で、福島第一原発の一号炉も同じである。(中略)中東産油国震源とするオイルショックが生じ(一九七三年)、日本は不安定な石油資源への依存から脱却するために、ますます原発への依存を深めていったのである。


 誰も何も知らなかったのではない。みんな知っていて大歓迎していった。「鉄腕アトム」も「ドラえもん」も「機動戦士ガンダム」もみんな、原子炉を内蔵したロボット。その延長線上に24時間営業のコンビニやオール電化、缶ジュースの自販機を「豊かさ」の風景として受け止め、利用してきたわたしやあなたがいる。


 だから、何が変わったかではなく、この間、何が、どう変わらなかったのかが重要だいう、冒頭の開沼博の問題意識こそが輝く。吉見は巻末をこう締めくくる。

戦後の「豊かさ」は、原子力の逆説を通して、冷戦体制と直結していた。だから福島の事故による放射能被害が広がったとき、「これは四度目の被爆だ」と思ったのは私だけだっただろうか。しかもこの被爆は、冷戦体制を前提に「平和利用」を無自覚に受け入れてきた私たち自身によるものだ。

夢の原子力―Atoms for Dream (ちくま新書)

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