「Lonely(ひとりぼっち)」と「 Alone(ひとりであること)」〜NHK教育ETV特集「詩人・加島祥造90歳」

 63歳の姜尚中が山奥で暮らす90歳の加島を訪ね、その心情をカメラの前で打ち明ける場面があった。おおまかにはこんな内容だった。
 20代の息子が自殺した悲しみに混乱してしまわないように、自分はそれ以降、意図的に自らを仕事詰めにすることで、正気を保っていた。ただ、その間、悲しみは自分の内側でどんどん溜まりに溜まっていった、と。


 姜の吐露に触発されて、加島もまた数年前に人生のパートナーを失って慟哭して以来、立ち直れないでいる自分について、手紙に縷々(るる)綴(つづ)る。
 姜が東大教授でありながら、ベストセラー本や小説も書く人気作家なら、加島もかつて大学で教鞭をとり、人気翻訳家として名声に浴したことがある。だが、彼はそういった名声に”包囲”された窮屈な生活に嫌気がさし、家族を捨てた過去をもつ。


 持たざる者から見れば、2人ともじゅうぶんに”成功者”だが、時期は異なるが、彼ら自身はそれぞれが幸福からほど遠いことを自覚していた。この2人が相互に触発される後半から、番組はいきなり深い陰翳をブラウン管の背後に忍ばせはじめる。


「格差」とか、「正規」とか「非正規」いう言葉が世の中のあちこちで面白おかしく弄ばれているが、一般に成功者と見られている2人の陰鬱とした心情が語られるほど、一部の視聴者は、自分たちも彼らに引きずられ、心の泥濘(ぬかるみ)に膝上まで沈み込んでしまうような恐さを感じたはずだ。
 おそらく薄々は感じていたが、メディアが単純化する「幸・不幸」の構図の、「幸福」枠の底が抜けていることを目の前に突きつけられるからだ。
 
 
 くしくも、ちょうどレイモンド・カーヴァーの評伝でも、カーヴァーはその作品が、米国の人気雑誌『エスクワイア』に掲載され、米国各地の有名大学から講師や教授として招聘される頃になって、アルコール依存症の深みに沈み始める。テレビ番組と読みかけの本との不思議な一致に、少しゾクッとさせられる。


 しかし、姜は定年前に大学教授を退任し、社会からダウンシフトすることを選択する。仕事にかまけて逃げて来た、息子の死が自分に問いかけるものと向き合う決意を固めたからだ。何者でもない自分一人に踏み出すことで再起を期す。それはかつての加島の選択とも似ていて、一筋の光を感じさせる。
 

 番組の終わり頃、加島が苦笑しながら口にした言葉を急いで書き留めた。
「『Lonely』と『Alone』ということで言えば、僕は今でもダメ男で、誰か手をつないでくれる人がいないとダメなんだけど、そういう人がいなければ、じゃあ一人で当座はなんとかするよと言えるぐらいには、『Alone』に耐えられるようにはなった。ただ、その程度さ」


 正確かどうかはわからないが、「Lonely(ひとりぼっち)」は、どこか自分を憐れむ気持ちに打ち負かされていて、「Alone(ひとりであること)」とは、頼りなげな自分を一定の距離をおいて見つめる平静さ、そして諦めを言い含んでいるような気がする。
 だが、それらの言葉を、加島さんのように明確に分別できるほど、ぼくの手はまだ節くれだっていないし、ぶあつくもない。


受いれる

受いれる