筋金入り


 お世辞にもけっして達筆とは言いがたい宛名書きの手紙に、ぼくはただただ圧倒されてしまった。送り主は九州の75歳の創業者兼経営者で、「先般は御丁寧なるお手紙をいただき恐縮いたしております」などと書かれていた。彼の会社を取材で訪ねたのは10年近く前で、その後、暑中見舞いや年賀状のやりとりだけが続いていた。


 そもそも5月下旬に、熊本産の日本で一番早い新米5キロを届けていただいたお返しに、私が御礼の手紙とともに、取材協力したユニークな経営者の最新刊をお送りしたら、とても気に入っていただいたのがきっかけだった。


 かつて一度だけ、神田藪蕎麦で昼食をご一緒したことがある。当時の彼は会社経営の傍ら、一橋大学の大学院法学部で学んでいらした。そもそも53歳で立教大学法学部に入学され、4年後に卒業された経歴の持ち主。


「ご多忙にもかかわらず、私のような者にまでわざわざお手紙をお書きになられる、◯◯さんの強烈な向上心に、恥ずかしながら圧倒されてしまいました」
 一昨日、竹橋にある外堀通りの夜景が見下ろせるホテルで和食のご相伴にあずかりながらそう伝えた後、自分より25歳も年長の方に「向上心」という言葉遣いは不適切だったかな、と少し後悔した。


 しかし、彼は少しも異に介さず、そういうDNAなんでしょうなと笑みをうかべながら、こう言い添えた。
「でも、荒川さんはいろいろな方にお会いになってらっしゃるでしょう。会社の中にばかりいると、世の中を見る目がどうしても内向きになりますから、できるだけ会社の外でいろんな方にお会いするようにしているんです」


 凄まじい。向上心なんて生半可な言葉ではまるで追いつかない。ここ数年、70代、80代の創業者の方に接することが多いが、睡眠時間4時間の方とか、脳梗塞を5回も経験してなお現役だったりする。
 地位も名誉もお金も手にされていて、なおかつ他人に対しては謙虚で、生きることに真摯。回りくどくて空疎な物言いより、率直でおおらかな言葉遣いを好まれる。
 

 そういった方々の、いい意味での愛嬌やオーラに触れていると、世の中で自身の成功やセミリタイヤぶりを吹聴したり、それをアイコンのように崇(あが)め、羨ましがる人たちがずいぶんと薄っぺらに見えてしまう。エネルギーの絶対量がそもそも違いすぎる。
 では、またお会いしましょうと、食事を終えてエレベーター前で差し出された彼の右手に遅れて手を差し出すと、予想以上の力強さで握り返されてしまった。