非日常を作りだすコツ

rosa412004-05-19

 ヨーロッパから戻られた筑紫みずえさんと昼食をご一緒するために、彼女のオフィスのある京橋へ出かけた。彼女に関する以前の記事はこちら。(id:rosa41:20040503)
 オランダのエコファンド関連会社の株主総会で目にした赤ちゃん株主(オランダでは子どもが生まれた記念に株を買う習慣がある。日本人が子どもの成長を願って若木を買うみたいな感覚らしい)の話、以前の記事で書いた「赤い呼び屋」神彰氏のことなど、興味深いお話をたくさんうかがった。
 とりわけ、ぼくの印象に残った話がある。それは劇作家・寺山修司さんのエピソードだ。20代のある時期、彼女は寺山さんの事務所で働いていたことがある。作家への憧れを持っていた頃だ。彼女が事務所を辞め、パリに留学していた頃、寺山さんと待ち合わせをした。そのとき寺山さんは約束の時間に30分遅れて現れた。
 その間、実は地元の男性になにかと声をかけられる筑紫さんを、彼は物陰からそっと観察していたという。ぼくはいかにも人間観察者・寺山らしいエピソードだと思った。確か以前、裏木戸から人の家を覗いていて、事件沙汰になったことがあったと記憶していたからだ。
 しかし筑紫さんの見方は違った。
「いいえ、それは日常を非日常化するためだったと思います。あの人は日常にいつも倦み疲れていて、それをいかに非日常化するかを、たえず考えている人だったから」
 実際に同じ場所で、同じ空気を吸っていた人の話には、やはり説得力がある。しかも、そっちの方がより寺山的だ。非日常を作りだすには、彼みたいに日常の視点を少しずらしてやることから始めればいい。これは真似しやすい。
 また、余談だけれど、筑紫さんが今、本人が書いた『青山二郎伝』を読んでいる途中だと知る。すごい偶然だ。読み終えたら貸していただけるという。(id:rosa41:20040516)
 おまけにぼくの好きな作家・幸田文を、筑紫さんもお好きだということも。だが彼女の幸田さん好きは、ぼくよりはるかに筋金入りで、幸田さんが書いた昭和中期の生活様式を、自分の子どもに伝えるために、蚊帳をつったり、出がらしの茶葉で玄関周りを掃いたり、ご飯を釜炊きしてお櫃に移すなど、当時の日本文化の伝承に取り組まれてきた。
 ご主人には不評のため、電気冷蔵庫や洗濯機も買い足したけれど、洗濯は今も洗濯板でゴシゴシ洗っていらっしゃる。
それもこれも、幸田さんの書かれた生活文化の伝承が目的だとしたら、その姿勢はとても骨太なものだ。ぼくには真似できそうにはないけれど。