キュッキュ(第1話)

rosa412004-06-18


 キュッキュ キュキュキュッ キュッキュ

 左の耳元で小さく鳴る。二日前からだ。テレビやMDステレオの高い音や大きい音に反応して、その音の残響音みたいなのが耳元で小さく鳴りだした。ためしに、目の前50センチほどの距離から、奥さんに少し大きな声でしゃべってもらうと、やはり左耳だけが、その声の強弱に反応して、耳元でキュッキュと小さくなる。ディズニー映画にでも出てきそうな親指大の小人が、ぼくの左耳にこっそりと囁きかけているみたいに。

 さっそく、今日の午前中、一度通ったことのある耳鼻科に行ってきた。60歳代後半だろう先生は、左の鼓膜より右の方が少し変だなぁと、ぼくの耳をのぞいてから言った。呑気なもんだった。
 診察室の隣にある、広さ四畳ほどの部屋で聴力検査をうける。およそ横1m、縦50㎝ほどの検査機械をはさんで、五○年配の小柄な看護婦さんと向き合って座る。彼女にうながされてぼくはヘッドフォンをつける。彼女は周波数の違う音を、それぞれ大きい音量から小さい音量へと順番に聴かせて、どの程度まで聴きとれるかを調べる。視力検査の要領だ。音が聴きとれれば、ぼくは右手に握った黒く、少し大きなガム型をしたスイッチの小さな赤いボタンを押した。
 だが音量が小さくなると、実に微妙な音になるのだが、診察室の隣に検査室があるので、隣の人の声や音がよく聞こえてきて邪魔される。検査される側としては、少しでもよく聴きとりたいと思うから、ぼくはしだいに神経質になっていく。

 隣の室の音が邪魔して聴きとりにくいんですけど…、ぼくが少し不満げに言うと、でも別の種類の音ですから気にしなくても大丈夫ですと看護婦さんは言う。いや種類は違っても、小さな音になれば、他の音が聞こえてきてはかき消されるじゃないですか。そう思ったが、あんまりムキになってもしかたないとぼくは黙って、ヘッドフォンを再びしっかりとはめ直した。やはり右とくらべて、左耳の方が小さい音になると聴きとりにくい。
 すると今度は、同じヘッドフォンを使い、ちょうど骨伝導の携帯電話みたいな検査に変わった。少しヘッドフォンの位置をずらし、まず右側のこめかみの下で、耳たぶの手前の顎骨近くに片方のヘッドフォンを当て、もう片側はそのまま左耳に当てたまま、検査する。次は反対側でそれをくり返す。またしても、左耳だと少しだが聴きとりにくい。ぼくは少々イラついた。

 三日前までは健常者だったはずのぼくは、唐突に病人の仲間入りをした。実にあっけない脱落だった。                                     (断続的につづく)