『白いカラス』〜自分を見失った人たちの行き着く先

rosa412004-06-30

 最近読んだ多田富雄著『免疫の意味論』(ASIN:4791752430)の受け売りだけれど、HIVウイルスは、自己と認識したものを増殖するという免疫システムを逆手にとり、感染した細胞を当初はあからさまには攻撃せず、むしろその細胞に正常な働きをさせながらそこに潜伏し、実にゆっくりとその細胞をむしばんでいくんだって。
 それを細胞の立場で見れば、「何が自分なのかさえよくわからなくなり、無意識のうちにどんどん変質して、ついには滅んでいく」物語だ。
 アンソニー・ホプキンスニコール・キッドマンが、がっぷり四つ相撲をみせる映画『白いカラス』を観ながら、そんな話を思い出した。それが自分を見失った人たちの物語だから。近頃、難しい役柄に果敢にいどみ、どんどん「大竹しのぶ」化するキッドマンも魅力的だ。
 古典学教授であり、三流大学の経営改革に成功した男は、講義中のささいな発言から人種差別を指摘され、大学を追われて妻も失う。一方、義父から性的虐待を受けた過去を持つ女は、ようやっと気づいた家族の幸福も、二人の子供の不慮の死と、それに失望して家庭内暴力をふるうようになったベトナム戦争帰りの夫から逃げだす。そんな二人の衝突と葛藤と和解の物語を横軸に、白人になりきることを追い求めた男の軌跡を縦軸にしながら、映画は進む。
「おまえ、肌は白いのに、まるで奴隷のようだよ」
 男が捨てた母親の言葉が、まるで通低音のように、スクリーンの向こう側で低く深く鳴っている。映画を観終わってから、なんともいえない苦い味が、舌の中央にどっかりと残る。それはアメリカ社会だけを突き刺しているわけではない。
 黒人以上に「白人」の仲間入りしたがるイエローモンキーの国や、「会社」にしがみつこうとする余りに犯罪者になり果ててしまう会社員の、さらには五歳の少年をマンションから突き落とした少女の物語に置きかえたとしても、じゅうぶんに成立するからだ。
 何のために自分は生きているのかを見失い、悲劇に陥ってしまう人の物語は今や、アメリカにも日本にも無数に存在する。私やあなたの内側にだって同じように、そのウイルスは潜んでいる。
白いカラス』公式サイト
http://www.white-crow.jp/
ロバート・ベントン監督インタヴュー
http://allabout.co.jp/entertainment/movie/closeup/CU20040619H/