テオ・アンゲロプロス『旅芸人の記録』〜もっと強く愛するための方法

 映画祭2日目。アンゲロプロス監督『旅芸人の記録』を観ながら、エゴン・シーレが描いた自画像のことが頭にうかんだ。
 僕の仕事部屋の、机の前に張られたカレンダーの上にもシーレの自画像が飾ってある。オレンジ色のシャツと、青に緑を少し混ぜたような薄汚れた下着姿の廃人みたいな絵。1890年、彼はオーストリアで生まれ、28歳で夭折した。
 彼ほど自画像に執着した画家はいない、と言われるほど彼は多くの自画像を残している。その大半が、醜悪な色使いで気味悪く、どこか恐怖におびえるような表情のものが多い。昔から僕はそんなシーレの絵が好きだった。そう、根っこは暗いヤツなんで(^^;)。
 自分自身と向き合い、外見からうかがい知れない弱さや偽善、醜悪さを念入りに描くことで、彼は自分をより強く愛そうとしたにちがいない。彼の自画像を、僕はそう受けとめていた。それはダメな自分をもっと愛するための、彼なりの生真面目な方法だった。それほど確固たる動機がないと、あんな醜悪な自画像を描き続けられるはずはないと僕は思う。
 それは『旅芸人の記録』におけるアンゲロプロスにも言える。映画では古典劇を上演して各地を巡る旅芸人一座と、ギリシャ国家が辿る変遷が相似形で描かれる。まるで川面に投げた石がおこす波紋がひろがるように、一座という小さなコミュニティでおきたことが、ギリシャ社会でも同様におこる、裏切り、分裂、敵対、精神の病、死刑、肉親同士の殺し合い。その同心円は時に交わり時に離れながら、次々と起こる波紋に、一座の人間たちは終始振り回されつづける。だが大半の登場人物たちは寡黙だ。カメラも静かに彼らを見つめ続ける。
 国土の分断は免れたけれど、ドイツ軍の占領に甘んじ、連合国軍の思惑に翻弄され、ついには内乱で国民同士が殺し合うという、旧東西ドイツや旧ベトナム、現在の朝鮮半島に似た歴史を、ギリシャはかかえていた。恥ずかしながら、この映画を観るまで僕は何も知らなかったけれど(^^;)。
 だが映画の筆づかいが精緻で、生々しいほどに、アンゲロプロスの母国への強い愛情をその画面の背後に感じた。シーレの自画像と同じ理由からだ。
 作品中、強く印象に残った場面がある。父をドイツ軍に殺された長女は、結果的に母とその愛人を、ドイツ軍に抵抗するためにゲリラ部隊入りした兄に、舞台上で銃撃させて殺す。両親を失った彼女は、家族三人のモノクロ写真だけが貼られた、殺伐とした宿舎の部屋で一人踊る。大音量で音楽をかけ、母が愛用していた赤のガウンをまとって踊り、幸せそうな表情でベッドで微笑む。
 そのからっぽな部屋と、狂気めいた彼女の歓喜。その物悲しいコントラストを、誰よりも強く抱きしめているのはアンゲロプロス本人にちがいない。その彼は、彼女の兄とともにゲリラ部隊に加わり、精神を病んでしまった劇団員に、その後でこう叫ばせている。「傷だらけの自由に、希望を見出そう」と。

 
●当日券キャンセル番号43番。通路座布団席で鑑賞。チケットなくても諦めずに行きましょう。今日は途中で退席した人から譲ってもらって、映画の後半は着席で鑑賞。3時間52分の大長編だったのでラッキー!正直いって長すぎるが、その一大叙事詩ぶりは圧巻。80点。
●千夜千冊「エゴン・シーレ
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0702.html