ジョニー・グリフィン『ザ・コングリゲーション』〜昼下がり、明治通りの喧騒を招き入れてなお光るテナー・サックス

rosa412005-05-31

「この、微妙に音を外してるテナーサックスの旋律って、確信犯的なヘタウマな感じで、心ひかれちゃいますね。誰の、なんていうCDですか?」
 そう、ぼくがきくと、長い髪を後頭部でまとめた、日焼けした50代風の店長は、あっそう、これ、名盤っていわれる、ジョニー・グリフィンの『ザ・コングリゲーション』なんだけど・・・と、少し怪訝そうな顔でそう言った。ジョニー・グリフィン?知らなかった。
 ぼくは、タイトに音を並べてカッコよく歌い上げればいいのに、ところどころで半音上げたり下げたりして、わざと外してる旋律が、むしろ玄人好みな感じがしていい、と言いたかったんだけれど・・・。たとえば、それは映画『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』に登場する、キューバのおじいちゃんピアニスト、ルーベン・ゴンザレスの演奏を思い起こさせた。わざと下手に演奏したり、コミカルに演じたりすることを可能にするだけの高い技術力という点で。
 それは原宿の明治通りぞいの、二階にあるジャズ喫茶だった。近くの出版社からの帰り道で、明治通りからふいに脇道に入ろうとして、目についた。ちょうど明治通りとその脇道で切り取られたかのような狭い三角形で、地上から見ても、カウンターだけの小さな店だろうと察しがつく。少々ペンキがはげた白い螺旋(らせん)階段のついた、二階のドアは開け放たれていて、紫色の看板に「Volontaire(ボロンテール)」という店名が書かれている。その外壁には地上から二階までツタが生い茂っている。
 そのまま素通りして、30mほど進んでから、ぼくは立ち止まった。この後、書きかけの原稿を早く仕上げたいのだけれど、とくに取材があるわけではない。何かしら心に引っかかるものを感じたのなら、30分ほどコーヒーを飲む程度じゃないか、あえて寄り道した方がいいだろう。そう思い返して踵(きびす)を返し、その階段を上ってきたのだ。
 暗い店内の壁にはビリー・ホリディやチェット・ベイカーなどの、そうそうたるジャズ・ミュージシャンの写真がA4大の額縁にいれて、整然と飾られていた。
 午前中の雨が嘘みたいに、開け放たれたドアの向こうに広がっている晴れ渡った昼下がりの光景と、暗い店内にかざられたビリーホリディの肖像写真の、あるいは明治通りの喧騒と、それを押しつぶすかのように店内に響き渡るテナーサックスの旋律。そんな二重のコントラストが鮮やかで、とても面白く思えた。
 ジャズ喫茶というと、戸外の喧騒をのがれて、暗い店内でまったりとその音楽にひたるという店が多い。だが、この店はまるで反対だった。だが、酸味の強いコーヒーを飲みながら、ボーっと開け放たれたドアの向こうの風景を見やりながら、その野太くて粘り気のあるテナー・サックスを聴いていると、予想外なことに戸外のノイズがあるからこそ、グリフィンのサックスがより鮮やかに胸にひびいてくる。
 たとえば、それは白いパネルの隣に、わざと黒いパネルを並べることで、より白が白として輝いて見えるのと似ていて、戸外のノイズをむしろ招き入れてなお光るテナーサックスで、ちょっとした昼下がりのジャズ・ピクニック、とでも言いたくなるような時間だった。

ザ・コングリゲーション

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