「写真はものの見方をどのように変えてきたのか」第4部<混沌:現代そして未来へ>in 東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス)〜ここではないどこかへの意志

rosa412005-09-23

「目に見えるものの向こう側へ、彼方へ、もっともっと遠くへ」
 そんな声が、それぞれの写真の奥の方から聞こえてきそうだった。写真って面白いなぁと改めて思う。
 だって今や誰もがケータイやデジカメで「写真」が撮れる時代で、街にはキレイなゴミみたいな写真が溢れているけれど、写真家それぞれの生き様と、人生のありったけの時間を費やして撮れられる作品はまるで違う。簡単にいうと、写真を通して見届けようとしている射程距離が驚くほど遠い。目に映っているものから、どれだけ遠くにいけるのかを競い合っているから。
 だけど、その形はさまざまだ。より物事の核心へときりきりとフォーカスしていく視線もあれば、反対にその一点の光景からその時代の俯瞰図へとひろがっていく視線もある。また、「もっと遠く、あるいはもっと高く」をめざしている点で、それはハンマー投げ棒高跳びの選手をも彷彿とさせるなぁと今日思った。つまり、どんな世界でも闘っている人は似ているということだ。
同美術館開館10周年記念特別企画展の最終第4部が、11月6日までひらかれている。国内外の作家の1970年代以降の作品を通して、写真というアプローチの多様さ、多彩さをお腹いっぱいになるまで見せてもらった。
 こうして見てみると、森村泰昌のセルフ・ポートレイト(91年)、森山大道の「猪豚」(75年)今道子「EAT」などが、頭ひとつ飛びぬけて、強烈な匂いを放っているのがよくわかる。いい意味での灰汁(あく)がある。