気分はもう「高橋」

 高橋尚子とともに、おれも東京の街を駆け抜けた。もちろん、時間帯とコースはまるで違う。距離は全部で2・5キロぐらいで、しかも途中ウォーキング付きで、うちの近所周辺の遊歩道・・・。たとえスピードは遅くても、イワシ雲の下を走って汗をかくのは爽快だ。
 高橋尚子の嬉しそうに走る姿は感染する。とりわけスパートした後、口を半開きにして、腕を大きく振り、上体も左右に揺すりながら走る姿は、父親か母親を見つけて、一目散に駆け出した小学校低学年の女の子みたいで、自分も走り出したくなって、むずむずしてきた。
 25キロ過ぎからは、ずっと消音して映像だけを、考え事しながら観てたんだけど、もうその姿に釘付けになり、思わず音量を上げた。マラソン競技というより、ミュージシャンがライブで聴衆をあおってるように見える。走ることでメッセージを発信する、プロフェッショナルなパフォーマーという方が、おれにはしっくりくる。そこが野口みずきというアスリートとは決定的に違う、高橋のオリジナリティーだと思う。高橋の前にも、おそらく高橋の後にも、当分ああいうランナーは出ないだろう。それはレース後の彼女のコメントにもよく表れていた。

「とにかく「高橋尚子は復活したんだ」ということを全国の皆さんにお知らせし、夢をあきらめないでやれば必ず報われるということをメッセージしたかったんです」

 こんなこと、アスリートは言わない。彼女の言葉はみずからの内面にはあまり向わず、聴衆に、いや国民に向って放たれる。それが彼女の走ることの前提にある。「高橋尚子」が世の中で果たす役割を、彼女以上に熟知しているプロデューサーもいない。
 レース終了直後の、トラックエリアでのインタヴューでも、ありがちな涙も、日本的な「苦労」や「根性」的な、じめじめしたニュアンスもなかった。まるで夏の強い日差しを乱反射させるヒマワリのように、有言無言のメッセージを発信するカラッとした空気しかなかった。
 テレビ中継が終わってから、おれも走りに出た。3日前は、右足のスネがかちんかちんになって走れなくなったのだが、今日は快調だった。とはいえ、くり返すけど、2・5キロでウォーキング付き程度なんだけどね。調子にのって、100mほどの坂道を上体を前傾させ、膝頭をテンポよくタッタタッタと上げて、”一人39キロの坂道リベンジ”ごっこで駆け上がった。気分はもう「高橋」だった。