須田国太郎展〜怒りなのか孤高なのか、まるで得体が知れないけれど惹かれる「黒」

 ひさしぶりに、ひとつの絵の前で時間を過ごした。でも予想以上に午前中の取材で疲れていて、でも離れたくなくて、近くの椅子で休憩しながら、のべ50分近くはいたと思う。15日のNHK日曜美術館」で観た須田国太郎の「犬」の絵だ。須田さんの全作品をひととおり観たが、やっぱり、この絵が一番気になる。どれよりも向き合いたくなる。だから離れたり、近づいたり、右斜めから、左斜めから、うろうろしながら観た。
 おそらくは夕暮れどきの、夜の闇に包まれる一歩手前。緑色の屋根の家々を背景に、街灯の下なのか、なぜか白く発光する場所に屹立する真っ黒な犬一匹。こんな構図の絵、いままで観たことがない。なぜか両眼だけが赤く光っている。
「白も黒も透明だと考えた方がいい。なぜなら、それらは下の色をかならず写し出すから」といったニュアンスのことを、須田は書き残している。その言葉を念頭に観ると、たとえば頭の部分は赤色が、左後ろ足には緑青色が下地に塗られていることなどがわかる。
 けれど、この黒い犬の存在がまるで噛み砕けない。むろん、理解したいのではない。ただ、ぼくなりに感じたいだけなんだけれど、感じきれない。この犬は「怒り」なのか、「矜持」なのか。あるいはその両方なのか。洋食屋の店先のショーケースにおかれた、ナポリタンの蝋細工にでもかじりついているみたいに、まるで歯が立たない。
 ここまで歯が立たないのに、無視することもできずに持てあまし、ただただ、ぼくを惹きつけずにはおかない「黒い犬」。その得体が知れないパワーを、結局そのまま持ち帰るしかなかった。3月5日まで、東京国立近代美術館東西線竹橋駅」すぐ)で展示予定なので、もう一度観にいきたい。ちょっと風邪っぽいから、今日は早く寝る。