メディアがノータリン化すること〜葥内氏の「ホリエモン逮捕」観

 今朝、日経ネットを見ていて、葥内氏の文章を見つけた。「あえてホリエモン批判への異論を唱える」だ。ぼくが以前、ホリエモン逮捕カウントダウン報道について書いたものより、はるかに論理的だ(^^;)。
あくまで検察主導で、検察側の論拠となっている関係者だけを取材して、さも検証しているようなフリだけする御用メディアへの疑問を、ぼくよりはりかに論理的に書かれている。
 ただ誤解のないように断っておくが、ぼくも、そしておそらく葥内氏も、ホリエモンが潔白だと言っているわけでも、擁護しているわけでもない。その捜査と報道の出来レースぶりが気持ち悪いと言っているだけ。
 彼の文章に説得力を与えているのが、彼のキャリアと経験だ。
 葥内氏は日本長期信用銀行在職時、「粉飾決算」疑惑への検察の決め付け捜査で、何度となく取り調べを受けた経験をもつ。興味がある方は御一読下さい。こういう言論が、メディア業界ではなく、経営コンサルタント業界から生まれてくる点に、わたしも含めてメディアの「貧すれば鈍す」状況がある。高度情報化社会って、メディアがノータリン化するってこと。
 一度殺人を犯せば、あれこれ「極悪非道人」情報をかき集めて、誰彼なく、ひたすら真っ黒に塗りつぶしてポイ捨てする。そんな少年犯罪報道パターンは、しっかりと「ホリエモン」報道でも反復されている。誰も何も言わない。ただただ、「黒く塗りつぶせ」の大合唱だ。想像力もクソもない。アホか。
 一応、朝日新聞が「ホリエモンを生んだ社会背景」について連載してはいる。だが、それも金融行政の市場主義への急傾斜という外堀報道で、ホリエモン自身の強さと弱さ、あるいは情熱と悪意の混沌といった視座ではない。どこを見ても、ゼロかイチか、正義か悪かのデジタル論法ばかりが山積み。その中間や周辺がない。「泣ける映画や小説こそが優れた創作物」ファシズムとも酷似してる。