座禅2回目〜ロウソクノ ホノオミタイニ ユレルオレ

正法眼蔵(八)全訳注 (講談社学術文庫) 
 地下にある座禅堂の中にいると、いろいろな音がまさに雨後の筍のごとくに聞こえてきて面白い。近くを走る地下鉄の振動音、隣の人の大きな息遣い、対面の人のお腹がキュルキュルと鳴る音(腹式呼吸をすると胃腸の働きが活性化するからか)、咳払いが聴こえてくる。反対に、ぼくが唾を飲み込む音や、唇を舐める音さえ響いてしまう。
 そのたびに、呼吸に集中しているぼくの心が揺れる。それは、ロウソクの炎がちょっとした空気の動きさえ敏感に反映してしまうのと似ている。人はそんな小さな音たちにさえ感応しながら生きている。もっと晴れ渡る大空のように大らかに、かつ巨岩のごとくどっしりと座りたい。
 今日読んだ道元の『正法眼蔵』の中で印象的だったのは、「生を諦め、死を諦めるのが仏法の精神」という一節。もちろん意味不明だが、その妙な言葉の狭間に心惹かれる。