『夜空ノムコウ』でのぼくのサビ部分
ピアノが弾ける人にとっては取るに足りないことかもしれない。
だが、初心者のぼくにとっては大きな発見だ。ひとつの曲として聴く分には、
あれから ぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ
窓をそっと開けてみる 冬の風の気配がした
あたりが、せつなくて苦い歌詞とともにぼくはグッとくる。
一方、千鳥足の指使いで『夜空ノムコウ』を練習していると、グッとくる部分がまるで違う。
ぼくのこころのやわらかい場所を
今でもまだしめつける
何度弾いても、ここで「オレ、ピアノ弾いてるなぁ」と心が共鳴する。
その理由は歌詞ではなく旋律にある。「ミミミ ファレミファ ファファファ ソミファソ ソソソ ラララッラシラシラッソ」―少しアクセントを入れて、似たようなパターンを反復しながらゆったりと高まっていく。拙いなりにそれを弾いてる自分まで、なぜかカッコよく思えてしまう(^^;)。そう、いたって単純!
それでも実際に弾いてみないと絶対に見つけられなかった、ぼくだけのサビだ。当事者意識がもたらす新たな視野といえる。
たとえば、取材者として改めて人物を凝視することで立ち上がってくる表現上のキーワード。にわかランナーながらひと月通算60キロ超を走ってみて、ふいに適度な前傾姿勢と脱力ができてスピ―ドに乗れてる瞬間の快感。チンピラ・レストランオーナーながら、お店の若いスタッフに感じる愛しさと厳しい視線。店に招いた友人たちの満足げな表情が、自分の中でさらに増幅する感覚―。
どれもちっぽけだけど、ぼくにとっては宝物だ。当事者意識はそんな魔法の杖になる。