rosa412007-02-24

「人が生きていることには意味がある」(4)
(22日のつづき)南京でその父親と会ったことで、帰国後、ぼくは上京する。東京で生活するためだ。とにかく文章を書くことを仕事にしたいと思っていた。季節は冬で、夜行バスに乗って、買いたての黒の革ジャンとボストンバッグひとつ。所持金は5万円。気分は完全に”浜田省吾”だった。
 われながら、かなりのアホである。でも何か行動を起こすときはアホに限る。考え詰めればつめるほど、最初の1歩が踏み出せなくなるから。
「人が生きていることには意味があるとは、ある意味でとても残酷な意見だと思うんですが・・・」
 写真家の橋口さんに、そう質問した女の子のおかげで、ぼくはあの頃の自分を思い出した。
 ぼくが彼女に対して、ある懐かしさと輝きを感じたからだ。誰だって悩むことは避けたいし、できれば悩まずにスイスイと進みたい。悩んでいる自分には、どこか停滞感がつきまとう。悩んでいる自分が、それなりの輝きを放っているなんて考えられる余裕はもちづらい。
 しかし、それは誤解だな。彼女を見て、ぼくがここまで文章を書きつづるのは、それだけのパワーを彼女が放っていたからだ。きちんと悩むことを恐れる理由は何もない。彼女の悩みっぷりが、ぼくにそれを教えてくれた。南京のバスの中で三人の子どもと仁王立ちしていた父親にも、ぼくは背中を押してもらった。一度も口さえきいたことのない二人だった。(おわり)