門井肇監督『棚の隅』(下北沢アートン)〜テ―マの普遍性と物語の小ささというバランス感覚 

 映画の日、夫婦で2本の映画をはしごした。最初の1本は小さな劇場で、もう1本は銀座の大きな劇場。だが、それは品質の「格差」とはイコールとはならない。小品ながら、ぼくが心を揺すられたのは前者の、大杉漣主演映画『棚の隅』だった(同劇場での上映は4月13日まで)。そのオープニングやエンディングの無造作さなど、作品として気になる点はいくつかあるのだけれど。
 一番好きなのは、壊れて放置していたラジコン飛行機を、男が徹夜で修理して河原で飛ばす場面。その前に、店の経営は思わしくなく、仕入先から納入した商品の入金を急かされている男の現実が語られた上での、ラジコン飛行だ。青空を飛ぶラジコンに託されているのは、男の現実逃避や幼い日のほがらかな記憶、あるいは運命に抗いたい反発心と犬死への諦めでもある。伝えたいのは理屈ではなく、言葉にならない行間なのだ。
 8年前に子どもを残して失踪した元妻が、突然、男の前にあらわれる。男には新たな妻がいて、家族3人仲むつまじく暮らしていて・・・・・・という物語だ。連城三紀彦の原作は何も起こらない物語で、そこに「遊園地の観覧車」という新たな状況を挿入することで、「映画」として成立させている。脚本は浅野有生子さん。
 誰の心にも、程度の差こそあれ、この映画のような「棚の隅」がある。それは果たせなかった夢か、あるいは言い出せなかった想いかもしれない。そこに普遍性があるからこそ、肝心の物語はちっぽけで濃密なものであればあるほどいい。そのコントラストがより鮮明なほど、映画は多くの人の「棚の隅」をそれぞれ投影して、その人だけの1本になる。