中平卓馬トークショー(ABC本店)〜「写真は記録」への純粋な回帰

 「最近、”ムツゴロウさん”って言われるんだよなぁ」
 写真家・中平卓馬さんが誰にともなく、そうつぶやくと会場から笑いが起きた。ぼくも思わず笑ってしまった。だってホント、作家・畑正憲さんに似ているんだもん。
 会場の前から二列目の右端に座っていたぼくの視界を、赤い野球帽を後ろ向きにかぶる小柄な男性が横切った。背中の曲がったその男はひょこひょこ通り過ぎ、最前列に座るよううながす周囲を無視して、好きな場所に座ろうとして連れ戻された。すでに、そこでも笑い声が起きていた。去年テレビで観たのと同じ、痩せた身体にジーンズばきの中平さんだった。
 60年代に編集者から転身、当時は前衛的だったブレやボケの写真表現に挑み、伝説の写真家と呼ばれる。多量のアルコール摂取から昏睡状態になり、命はとりとめたものの、大半の記憶を失うというアクシデントに見舞われ、なおも「カメラ小僧」めいた服装で写真撮影を再開した軌跡が、その伝説に拍車をかける格好となった。今も、ふつうの会話が成立するようなしないような微妙さがある。
 昨日の日曜日に行われたトークショーは、見続ける涯に火が・・・ 批評集成1965-1977の刊行を記念して行われた。その前後に、中平さんの最近の作品がスライド上映されたのだが、一見何気ないスナップにも見えるのだけれど、光の陰影やその場の光景への純粋な驚きや好奇心に満ちたショットが多い。鳥や猫、あるいは水や火、路上生活者や畑作をするおばあちゃんの背中などが”等価”に撮影されている点に、「意味」を捨て去った写真家の満ち足りた世界観に触れた気がする。
 かつて、「写真はドキュメンタリーでも芸術でもなく、記録だ」と主張した写真界のイデオローグが、病いと記憶喪失をへてたどりついた新たな地平にも思える。
 中平卓馬新作展「なぜ、他ならぬ横浜図鑑か!!」は、別の場所で5月12日まで開催中。