北上川ぞい散策と「泣けと如くに」 

rosa412007-04-28

 満開の山桜と、静かにたゆたう北上川の先に残雪の岩手山。川岸には濃いピンク色の芝桜と、色とりどりのチューリップ。あるいは雑草の中に点在する白い花弁の水仙、そして草を食むカルガモの群れ。
 盛岡市内を流れる北上川ぞいの散策は今、北国の春を愛でるのにふさわしい。京都の賀茂川ぞいより、もっと野趣があり、その無骨さもまた味わいのひとつだろう。写真ではわかりづらいが、大きな木と建物のシルエットの狭間に銀色に輝く岩手山がある。
「まぁ、そうだね。おれだって、ここが自分が好きで作った店じゃなかったら、とっくに辞めてると思うよ」
 盛岡市の大通りにある、キッチン「たくま」の長岐さんは言う。学生時代以来のお付き合いだから20年をこえる。それでも、長岐さんの風貌が当時とあまり変わらないのは、たぶん、自分が好きで作ったお店のせいだろう。民芸調のセンスのいい家具と調度品は、暖簾分けしてもらった長野県松本市の「たくま」と同じ。白壁によく映える。
「商売はけっして楽観的にはなれないけど、昔、よく来てくれてたお客さんとかが転勤先から、ひょっこり顔出してくれたりすると、ここで店やってて良かったなと思うしね」
 ぼくも盛岡近くにいけば、顔が見たくなる人がいる幸せを思う。人が本当に他人にできることは、それぞれの場所で踏ん張っている姿を互いに見せ合うことしかない。だから「じゃあ、また」とだけ言って別れるのがいい。1億円もらっても今の仕事を続けるかどうか。そんな問いをぶつける必要もなく、長岐さんはきっとどこかでお店を開くんだろうなぁ。
 最近、ある人から石川啄木のふたつの詩をメールでもらった。これはそのひとつ。 

 やはらかに柳あをめる
 北上の岸辺目に見ゆ
 泣けと如くに

 これは望郷の想いをうたったものだが、「泣けと如くに」思い出す居場所や人、光景をどれほど持つことができるのか。それはひとりひとりが手作りするしかない。