「高みの遊び」としての俳句〜初雪や ジャズ喫茶の 四十五十路(よそいそじ)

 道草って、もう死語?セカセカ、カリカリした世の中には不似合いだしな。
 
 霞ヶ関でランチ打ち合わせを終え、新宿へ向かう途中、車窓の雪景色を見ていたら、ふいにその道草をしたくなった。四谷の行きつけのジャズ喫茶でまったり和もうとしたら、意外と混雑盛況。


 東京に初雪が舞った昼下がり、四十路五十路男たちが、大音量のジャズで暖をとる。その気持ちはよくわかる。日常から非日常の隙間に自分を潜り込ませるのに、雑踏の往来から地下に降りるジャズ喫茶は絶好の場所だから。
 古い「en-Taxi」があったので、角川春樹さんの句会ページをめくる。ファンドマネ―ジャ―と作家の石丸元章さんがゲスト。角川さんも激賞していたが、石丸さんの句は行間と余韻があっていい。ただ、どれも正確には覚えていないから、ここでは紹介できないが。文章の行間を鍛えるのに、俳句はいいかも。


 「縮む」がキーワードになりそうな’08年、いい大人たちが12文字の句をひねり出し、互いにああだこうだと評し合うって、とても粋じゃないか。もちろん、角川春樹という大立者が仕切っていることも含めて、「高みの見物」ならぬ「高みの遊び」の風雅さが、ページの行間から匂い立っていた。そういえば、「粋」なんかもいまや死語。
 そんな廃(すた)れた言葉からこそ、今の世の中はよく見通せるのかもしれない。