赤塚不二夫さん逝去〜書かれない物語

 
 昔、女性誌のドキュメントページを担当していたとき、赤塚さんの奥さんに取材を申し込んだことがあった。ちょうど、赤塚さんの過去の対談をまとめた『バカは死んでもバカなのだ』が刊行されたとき。それを読んで、赤塚夫人の視点から、この天才を描けないかと思った。なにより、長く病床にいた赤塚さんに寄り添う女性に、ぼくは興味があった。


 担当編集も乗ってくれて、いざ申し込んだら、あっさりと断られた。しつこく食い下がったら、事務所の代表である家族の方から、ぼくはひどく叱責された。そこまで言うことないのに、担当編集もそう言ってくれた。ぼくもそこまで罵られる理由がわからなかった。


 たぶん、それから2年後ぐらいで、赤塚さんより先に奥さんが他界された。それを知ったとき、あの家族の方の激烈な叱責がストンと胸に落ちた。もちろん、何の根拠もない想像だ。当時すでに赤塚さん本人より、奥さんの方がひどく衰弱されていたような気がする。もう放っておいてくれ!きっと家族の人はそう叫びたかったのだろう。


 あれからさらに赤塚さんは生き続けた。意識と無意識の間をさまよいながら。
 誰かその死について書くんだろうか。でも、それは家族にとっては、耐えられないことでもあるだろう。つまるところ、書くとは暴くことで、墓あらしみたいな側面を抜きがたく持つ。要は、その罪深さをこえてなお記録すべき物語かどうか。誰かを傷つけるという返り血をあびてもなお、書きたいと、書くべきだと己を信じきれるかどうか。まったくヤクザな商売だ。と、ヤクザな商売に手も染めたことがない青二才が、したり顔で言うことでもないか。


つつしんで、赤塚さんのご冥福をお祈りしたい。