知的能力と実現能力 


 先日、ある大学教授の方とお会いした。
 「伝説のエンジニア」という異名もとった彼の話の中で、もっとも印象的だったのが、知的能力(アビリティ)と実現能力(コンピタンス)についての件(くだり)。

 かつての勤務先で、東大の機械科大学院卒の若手に、ひとつのテーマを与えたんです。自動車内の騒音を、ある一定レベルに抑える床材を設計してほしい、という依頼でした。すると、彼は正確無比な計算を見事にこなした末、「床は厚さ1センチの鉄板が必要です」という答えをもってきたんです。そのとき、私は知的能力と実現能力に、はなはだしいギャップがあることに気づかされました。


 たとえば同じ鉄板でも、形状をギザギザにするなど、いくつかの工夫をこらすことで、厚さ0・8ミリでも、私が求めるレベルの騒音にはじゅうぶん抑え込める。もっと安い費用で、もっと軽くして、その目標値を達成できるんです。計算だけで答えを導き出して終わりとする、現在の教育は、私に言わせれば「絵に描いた餅」。技術とは、事前の事物を改変し、人間の生活に役立つこと。そこがまるでできないんです。

 似てるよなぁ。金融工学とやらで、どっかの賢い人たちがあれこれ計算して分散したはずの机上のリスクが、実際に顕在化すると世界同時不況を誘引した、なんとかロ―ンとじつによく似ている。