89歳の彼女の日常
その皺の寄った手でニンジンやゴボウを器用に刻みながら、さあ、皆さんも椅子に腰掛けて、と視線をあげて私たちをうながす。ああっ、手元をちゃんと見ないと危ないですよ、と私は思わず声をあげてしまった。
だが、それは杞憂にすぎない。89歳の彼女はすこしも表情を変えず、台所のテーブルで視線をみずからの手元にすっと戻す。その刻み方に目をこらすと、ゴボウなら、あらかじめ切り込みを2回入れてから薄切りにしている。
身にしみついた技術と気配り。身長150センチにも満たない、丸まった背中の彼女が静かに放っている生活力に、気圧されている自分に気づいた。普通の市井の人だ。
取材ということで、多少は気持ちが高揚されていたのだろう。いきなり教育勅語を見事に暗唱されたり、新聞掲載の懸賞クイズで最近1万円をもらわれたことなどを、矢継ぎ早に話されたりした。
ヘルパーさんの話だと、料理前にはテレビや新聞で知ったことを話題に、彼女はいつも30分ほどおしゃべりに花を咲かせるという。
週2回利用しているデイサービスでは、入浴介助をうけ、栄養バランスのとれた食事をとる。同年代の利用者と自分を見比べて、その不安や孤独を黙って受けとめる。それでも老身での独居暮らしが時おり辛くなると、好きな昔の流行歌を口ずさんで気を紛らせる。
暮らすとはそうした手仕事の集積。そこに意味や意義などが付け入る隙(すき)はない。