変格活用の歌〜斉藤和義『おつかれさまの国』 

 夕方1時間半ほど走ってきて、シャワーを浴びてから、おもむろにストレッチを始めた。ipadの電源を入れて「youtube」で「斎藤和義」と入力し、あれこれ聴きながら、疲労で固くなったふくらはぎや腰をマッサージする。


 「いててぇ〜」「あっ、吊りそう」「やっぱ、ここ張ってるな」とかオレがぶつぶつ言ってる傍らで、斉藤和義が歌ってる。彼のリラックスした言動と、筋肉をゆるめるストレッチが時おりシンクロする。「ふーっ」とか「はぁー」と溜め息ともかぶる。


 有名な曲より、地味めの曲で、これが耳に留まった。昔、国語の時間に習った「カ行変格活用」とかを思い出したから。「来る」はそれに続く助詞や名詞によって、そのかたちを大きく変える。「来ず」・「来た」・「来る時」・「来れば」・「来い」で「こ・き・くる・くれ・こい」だ。


 斎藤は、世の中で何気なく使われている「おつかれさま」に目をつける。
まずは、それに込められて省かれた「ありがとう、大丈夫です」を見つけ出し、その言葉の裏にある想いを、「ありがとう、信じてくれて、どうもありがとう」と引っ張り出す。あるいは、「本当は言えなくて だから言うのだろう 本当に言いたくて だから言うのだろう」と「お疲れさま」をかみ砕く。かと思うと、観察者の立場をあっさり捨てて、「僕にも言ってみる」と自分も使ってみたりする。これぞ、巧みなる「おつかれさま」の変格活用。


 その省略と感謝と忘却をあいまいに象徴する言葉をタイトルにして、「おつかれさまの国」とは、この国を見事に批評してもいる。グッジョブ!