「たら」「れば」の残骸


 ひとつの白木がまるでカンピョウのようにきれいに削られて1本のバットができあがる過程を、ぼくは静かに見守っていた。職場では「名人」と呼ばれるバット職人のKさんは、そんな若造を気遣っていろんな話をされながらも、手と目だけはリズミカルに動かしつづけ、瞬く間にきれいな木目を残した松井秀喜のバットが完成した。およそ6、7年前の話。
 

 どうぞと彼に言われて、その出来たてのグリップエンドを握って少し揺すると、木材とは思えないほどバットの少し膨らんだ上部がぐにゃぐにゃとゆがんだ。摩擦熱による現象だった。
 この木は良好な環境で育ち過ぎて、あんまり苦労していないなぁ、だからバットとしては不適格ですね、とKさんは問わず語りにつぶやいた。ひとつの木材をまるで人間のように語ってみせる彼に、あらためて心惹かれた。すくすくと育った木は年輪の幅が広くなる分、バットとしては圧縮度が低く、ボールをより遠くへ飛ばす道具にはふさわしくないと、彼は丁寧に説明してくれた。


 今の仕事をしている間にぜひお会したい方だったから、Kさんとの1時間はとても濃密だった。なおかつ想像以上に謙虚で、その温厚な物腰の奥に何らかの狂気を秘められてもいた。取材後、岐阜羽島駅に向かうタクシーの車内から我慢できずに奥さんに電話して、Kさん、想像以上にカッコ良かったわぁと興奮しながらしゃべっていたことを今はっきりと思い出せる。


 もし、ぼくがある新書企画を通すより先に、彼を主人公の一人とするノンフィクション本の取材が他で進んでいなければ、彼の物語をたどる過程で、松井とイチロー両選手ともお会いする機会に恵まれていたはずだった。そう、誰もが「たら」「れば」の堆(うずたか)い残骸をかかえて生きている。


 今日も何度かVTRがテレビで放映されていたが、2009年のワールドシリーズでの松井選手の活躍が、同時に彼がMVPを受賞したときに日本人としてとても誇らしかった気持ちの両方が記憶に新しい。記者会見での「引退という言葉はあまり使いたくない、まだ草野球の予定も入っているしね」という言葉に、彼の未練と矜持を感じてグッときた。